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【講演録】10周年記念シンポジウム/枝廣淳子

2015年04月30日

(先日、チェンジ・エージェント10周年記念シンポジウム(2015年4月25日)を開催しました。会長枝廣が冒頭で挨拶しました講演録をご紹介します。)

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皆様、こんにちは。チェンジ・エージェントの会長を務めております枝廣と申します。

今日は、このようにたくさんの方においでいただき、本当にうれしく思っています。とてもお天気のよい週末の午後を、チェンジ・エージェントの10周年を一緒にお祝いし、またこれからを考えていくために来てくださって、本当にうれしく思っております。ありがとうございます。「十年一昔」と言いますが、チェンジ・エージェントを立ち上げて10年たちました。この10年間、さまざまな形で支えてくださり、また刺激を与えてくださって、一緒にいい変化をつくり出そうと力を共に尽くしてきた同志の皆様と、こうやってこの時間をご一緒できることを、本当にうれしく思っています。先ほど、お祝いの電報もいただきましたが、井村屋のグループの皆様には、9年ほど前から組織開発と社員研修のお手伝いをさせていただいていて、今回、浅田会長はじめ、4人の皆様が津から来てくださっています。本当にありがとうございます。

今から15年ほど前、私は同時通訳の仕事をしていました。同時通訳の仕事をたくさんいただくようになっていて、年収は1,000万を超えていたと思います。ある日、その仕事をやめて環境問題に取り組もうと決めました。なぜそのように思ったのか? 通訳の仕事は非常にやりがいがあって面白かったのですが、人が考えたこと、人が調べたこと、人が実践したことを、英語で話されれば、私が日本語にする、日本語でお話しされたら英語にする。言葉の架け橋をするのが役割でした。このように、いろいろな方々のいろいろなお考えや取り組みを、ただ通訳するだけではなくて、自分でもやりたいなと思うようになったからです。

通訳時代の後半は、主に環境分野の通訳をやっていたので、さまざまな環境問題が、あまりメディアに出ていないものも含めてたくさんあるし、それがどんどん悪化している。その一方で、それを何とかしようとするいい取り組みも、たくさん広がっている、ということを、実感として感じていました。そういう中で、自分も何かやりたい、ただ伝えているだけではなくて、ただ通訳しているだけではなくて、自分もやりたいと思って、通訳の仕事をやめて、環境の分野に入ろうと思ったのでした。

通訳の友だちからは「そんなことをしたら、収入がなくなるよ」と止められました。確かにそうでした。年収は5分の1くらいになりました。でも、ある時から少しずつシフトしていきました。環境問題や、今でいう持続可能性の問題を何とかしたいと思って、通訳をやめたのですが、その時気がついたのは、「何とかしたいのだけれど、でも、何とかするすべを自分は持っていない」ということでした。つまり、「何とかしたい」というのは、「このままじゃいけないから、望ましい変化をつくり出したい」ということなのですが、望ましい変化をつくり出すためのすべやスキルを当時の私は持っていなかったのです。「何とかしたい」という思いだけで飛び込んだのでした。

最初は、「伝える」という活動を中心に始めました。もともと、小学校の時から作文は好きで得意だったし、話すのも得意だねと、周りからは言われていたので、書いたり話したりという活動を始めたのです。日本の中のさまざまな取り組みであるとか、翻訳を通じて世界の取り組みなどを伝える--講演したり、雑誌などの執筆したり、本を書いたり、翻訳をしたり、ということをずっとしてきました。通訳の時は、「人が調べて、人が考えて、人が取り組んだこと」を通訳していました。それに比べると、「自分で調べて、自分で考えて、自分でやってみたこと」を伝えられるということは、大きな喜びでした。そういった活動をずっと続けてきて、今も続けています。

だけど、伝えるだけでは物事は変わらない。その限界もずっと感じていました。「どうしたらいいのだろう?」

そう考えていたある日、2002年の春だったと思いますが、1通の英語のメールが届きました。誰からだろう?と差出人を見て、びっくり。「デニス・メドウズ」と書いてあったんですね。デニス・メドウズというのは、『成長の限界』という本の共著者です。1972年にローマクラブの委託で、システム・ダイナミクスという手法でシミュレーションを行って、「このまま行くと、人類は限界を超えてしまって大変なことになる」という結果を本にしたものです。

デニスからメールをもらった少し前に、彼のパートナーだったドネラ・メドウズさんが急に亡くなりました。ドネラさんの名前は、皆さん、ご存じだと思います。
『世界がもし100人の村だったら』というエッセイを書かれた方です。ドネラさんもシステム・ダイナミクスの研究者で、システム思考家の方でした。ドネラさんは、ずっと研究者をやっていたのですが、「研究だけでは世界は変えられない、社会は変わらない。そこでわかったことをもっと伝えないといけない」と、ある日、「研究者をやめた」と言って、ジャーナリストになったんですね。それからいろいろなコラムを新聞などに書いて、多くの人々に大事なメッセージを伝えました。そのうちの1つが『世界がもし100人の村だったら』というコラムだったのです。

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デニスとドネラさんは、30年以上前からバラトングループというグループをつくって活動していました。「バラトン」というのは、ハンガリーにある湖の名前で、毎年そこで合宿をするので、バラトングループといいます。世界中のシステム思考、システム・ダイナミクス、そして持続可能性にかかわる研究や実践をやっている人たちが、数十カ国からたぶん300~400人いるのだと思いますが、そのネットワークがバラトングループです。そのバラトングループで毎年、バラトン湖のそばで合宿をやっていたのですが、ドネラさんが急に亡くなったあと、ドネラさんをしのんで仲間が集まって、フェローシップ、奨学金の仕組みをつくったそうです。

主に途上国の若い女性を合宿に招いて、学んでもらい、ネットワークを作ってもらって、自国に持って帰ってもらおう、と。そのフェローの候補の一人になったので招待したいと思うが、来るつもりがありますか?というメールでした。私はまず、「私は途上国出身でもないし、若くもないんですけど、いいんですか?」と聞いたのですが、それでもいいという返事でした。レスター・ブラウンという、この分野で有名な人も、「ジュンコだったら絶対いい」と応援してくれたそうで、そういった後ろ盾もあって、2002年にバラトングループの合宿に初参加しました。合宿は、50人と定員が決まっていて、バラトン湖のホテルを借り切って、1週間、朝から晩までみんなで議論します。お互いに知り合い、議論できる範囲ということで、50人という上限が決まっているのです。毎年10人から十数人、新しい人が入ってくる。その1人として参加しました。

実際の会議が始まる前の日は、初参加者向けのオリエンテーションでした。その時に、デニス・メドウズが、初めての人向けに、システム思考の手ほどきをしてくれました。私がシステム思考に出会ったのはその時が初めてです。システム思考という言葉は、どこかで聞いたことがあったけれど、どういうものかよくわからなかった。だけど、最高の先生ですよね。システム思考の第一人者のデニス・メドウズが手ほどきをしてくれたのですから。教えてもらったその日に「これだ!」と思いました。「私はこれを日本に持って帰らないといけない」と。自分にとっても必要だし、日本にとっても必要だと、本当にそう思いました。

私は、今は前よりはマシですが、当時は、あまり論理的に考えられるタイプではなかった。だけど、その私でも、システム思考を使うと、物事がとてもよく考えられる。小さいところにこだわるのではなくて、本当に何が大事かがわかる。こういう考え方は私にも必要だし、日本に持って帰りたい!と思いました。「チェンジ・エージェント」という言葉を初めて知ったのもバラトングループでした。「変化の担い手」と私たちは訳していますが、実際、変化をつくり出す人たちです。バラトングループは、ある意味チェンジ・エージェントの集まりで、ある時、そう言う人たちと話をしていたら、「ジュンコもチェンジ・エージェントだね」と言われて、「え?」と。そんなふうに自分のことを思ったことはなかったので、びっくりしました。

バラトングループには、チェンジ・エージェントとしての実践だけではなくて、「チェンジ・エージェントにはどういうスペックが必要か」とか、「チェンジ・エージェントを育成するには、どういうプログラムが必要か」といったことを研究したり実践している人たちもいます。そういう人たちとやりとりをする中で、「変化の担い手たるチェンジ・エージェントを、日本でももっともっと増やしていきたい」と思うようになりました。変えたいという気持ちのある人はいっぱいいるけれど、本当に変える力を持っている人たちが、もっともっと日本に増えれば、日本は変えられるんじゃないか。そんなことを思って、その当時、JFSというNGOで一緒に活動していた小田と一緒にチェンジ・エージェントという会社を立ち上げました。

「日本で本当に変える力を持ったチェンジ・エージェントを、政府や自治体、地域、企業、NGO、市民など、いろいろな所に、もし200人育てることができたら、日本は変えられるんじゃないか」と思って、チェンジ・エージェントの活動を始めました。10年たってみて、本当の意味でのチェンジ・エージェントを、何人くらい私たちはお手伝いすることができているのだろうと思うと、まだまだだなと思います。

その一方で、この10年間にいろいろな新しい学びがありました。「学習する組織」という考え方もそうですし、シナリオ・プラニング、対話・ダイアログ。いろいろなことを、チェンジ・エージェントの活動を通じて、もしくはその活動を広げる中で、勉強してきました。おそらく、私が一番この10年間勉強させてもらっているなと思います。勉強したことを、少しでも実践してみて、そこでの気づきや学びを、また自分の勉強につなげるとともに、できるだけ伝えていく。そういう活動をずっと10年間やってきました。

先ほど、お名前を挙げさせていただいた井村屋さんでも研修のお手伝いをしています。一般的に「組織開発」といいますが、私は「組織開発」という言葉はどうもピンとこなくて......。「開発途上国」という言葉も同じような感じがします。「開発」という、外から開発してやる、開発させるという他動詞のようになるとどうなのかな、と。、そのものが持っている力が自分の力として発揮される、「発展する」という自動詞としての開発であれば、違和感はないのですが。そういった意味でいうと、「組織開発」も、外から開発するというのではなくて、その組織がもともと持っている力、一人ひとりが持っている力を最大限に発揮し、個人の力の総和以上のものを生み出すような、そういった組織のあり方に向けてお手伝いをさせていただいています。

最近、地方創生の取り組みが日本中で盛んになっていますが、そのトップランナーの1つといわれている島根県の海士町の地方創生総合戦略をつくるプロセスにも、アドバイザーとしてかかわっています。つい最近も、海士町のみなさんと「ダイナミック未来志向プロセス」というのをやりました。ダイナミックというのは、皆さんおわかりのように、システム思考を使ってということですが、バックキャスティングで未来を描く、システム思考で構造を理解する、シナリオ・プラニングで、未来のありたい姿だけではなくて、あり得る姿を考える。そして現実とのチェック、突き合わせをする、といったプロセスで行っています。

町のみなさんが20人ぐらいで、ループ図をみんなで描きながら、地方創生について、町のありたい姿について考えているのは、ここだけではないかなと思っています。去年の9月からは、都市大の環境学部で教え始めました。この4月からは、ゼミ生も18人配属され、研究室の活動も始まっています。私のゼミのキャッチフレーズは、「社会を変えながら、社会を変えられる人を育てる」というものです。ゼミ生たちと、教室の中だけではなくて、あちこち外に一緒に行って学んでいこう。勉強したことを実践して、そこからの学びを伝えていくという活動を、学生とも一緒にやろうと思っています。いろいろな問題を考えたときに、温暖化をはじめ環境問題、そして格差や貧困といった、社会の問題にしても、時間との闘いだなと思うことが増えています。

チェンジ・エージェントがご縁をいただいている皆様、そしてここにいらっしゃらないけれども、いろいろなつながりを持っている多くの方々と一緒に、皆さんのお力を借りながら、チェンジ・エージェントをもっともっと増やしていきたい。そして、日本の中での、そして世界での望ましい変化を、もっともっとつくり出していきたい。そして、時間との闘いということを考えると、その勢いを加速していきたいと思っています。

この10年間に感謝するとともに、今後また10年間、私たちの活動をぜひ見守っていただき、そしていろいろとご指導、ご鞭撻をいただければと思っています。みなさんと一緒に進んでいく仲間に加わらせていただくことを楽しみにしています。

以上、ご来場のお礼のご挨拶とさせていただきます。今日はありがとうございます。

(以上)

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