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持続可能性コンパス:企業や地域の持続可能性を見える化する

2022年02月21日

トリプルボトムラインvsシングルボトムライン

皆さんがもし企業や自治体に勤めて、CSRやSDGsの推進に関わっておられたら、「トリプルボトムライン」や「ESG」という概念をご存じかと思います。

ボトムラインとは、損益計算書における最終行の税引後利益(純利益)から転じて、包括的な結果や最終インパクトを示すものです。アングロサクソン型の経営、特に新古典派経済学の考え方では、企業活動は株主のために純利益や投資へのリターンなどの「シングルボトムライン」が重んじられました。この考え方は、資産家層を中心とした株主にとっては株価向上につながった一方で、社会や環境に多くの負の影響と経済面における格差拡大をもたらしています。これに対抗して、企業の存在意義は、もっと多様なステークホルダーを対象に、株主利益を超えたもっと広範な経済上の貢献に、環境・社会面でのプラスとマイナスを加味したトータルなインパクトを加えた「トリプルボトムライン」を重んじるべきとの考え方が、2000年頃から世界へと広がっていきました。

こうした動きが広がり、今日では企業に投資する立場の株主も、財務結果だけではなく環境(E)、社会(S)、ガバナンス(G)の非財務面も統合して吟味することが、価値創出の上で重要であるとの考えが投資セクターにも浸透し始めています。これによって、今まで環境活動や社会活動を行うことは株主利益に反すると考えていた経営者たちも、その意思決定の方法や尺度を変えていく方向に向かっています。

社会的インパクト計測のチャレンジ

しかし、財務結果は実際の取引や保有資産の評価などの方法を定める会計原則を通じて、売上や利益、資産などが比較的把握あるいは業界の中で比較しやすいのに対して、環境や社会のインパクトやボトムラインを測ることは容易ではありません。一言で環境といっても、企業や自治体の関わる課題は、CO2や他の温室効果ガスの排出だけではなく、資源の利用やその循環、化学物質の排出と対策、水の使用量や汚染、土壌や森林への影響や生物多様性への影響など実に数多くの事項が関わるからです。社会分野になると、男女不平等や労働環境などの人権問題から、コミュニティや従業員へのプラスマイナスのインパクトや、社会課題解決などさらに多岐にわたります。

企業の社会・経済・環境分野でのインパクトの報告に関する原則をまとめ、報告のガイドラインを提示するGRI(Global Reporting Initiative)は、さまざまな業界共通で37の文書で、126のパフォーマンス指標を提示しています。また、自治体、国、グローバルな行政機関やNPO/NGOなどの市民セクターが2030年達成を目指すSDGsは、17ゴール分野において、合計169のターゲットとその進捗を測る231の指標で描こうとしています。環境や社会のパフォーマンスは多くの分野で異なる単位の指標が混在しているため、一目でわかるような企業や地域のパフォーマンスを語ることが大きなチャレンジとなっています。

こうしたチャレンジに対して、さまざまな評価団体や媒体が、社会、環境、ガバナンスのパフォーマンスをスコア化、ランク化したり、順位を提示するなどの試みがあります。こうした社会や環境のパフォーマンスを重視する認識や評価が広がることは、とても好ましいことではあります。その一方で、外部の専門家による評価は比較可能性を重視して幅広く一律に測定方法を適用しているため、個別の組織や地域において何が重要かの文脈を考慮していなかったり、組織や地域が改善に向けて具体的にどのような方針や戦略を打ち立てるかといったマネジメントや政策の実践に即していなかったりします。企業や自治体自体が、関係する重要なステークホルダーを巻き込みながら、そのプロセスを通じて重要性が認められるアウトカムに対してパフォーマンス目標を設定し、施策を展開して、進捗を評価することが肝要でしょう。

持続可能性コンパス

こうしたニーズに応える方法論の一つが、「持続可能性コンパス(Sustainability Compass)」です。1997年に開発され、2001年にアラン・アトキソンとリー・ハッチャーによって公表されました。持続可能性コンパスの目的は、持続可能な開発を通じて達成しようとする価値(アウトカム)を定義し、その状態や進捗を計測することで評価と改善を図り、そしてステークホルダーたちを持続可能性のゴールに向けて方向付けることにあります。このツールは、アトキソンらが活動した「サステナブル・シアトル」を始め、北米、欧州、アジア、オセアニアのさまざまな地域コミュニティや自治体政府、企業、学校などで活用されてきました。

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持続可能性について、国連などのさまざまな定義がありますが、アトキソンはより一般的に、「あるシステムにおいて、永続的に継続しうる一連の条件と傾向」と定義しています。また、持続可能な開発は、「持続可能な方向への継続的なイノベーションとシステム変容の管理されたプロセス」であるとしています。これらの定義は、企業などの組織が、継続事業体として永続的に価値提供しようとする前提や、そのために継続的に改善、変革、そして組織変容を遂げようとするプロセスとも互換性があると同時に、企業の活動の大前提とも言える社会、経済や自然環境などの基盤が持続してこそ企業の持続可能性があることまで広げて考えることもできます。

コンパスと名付けられているのは、持続可能性の主な4つの側面であるN(Nature: 自然環境)、E(Economy: 経済)、S(Society: 社会)、W(Well-being: 幸福)が、羅針盤としてのコンパスが持つN(北)、E(東)、S(南)、W(西)の4つの方位に置き換えることができるからです。また、その機能として、組織や自治体とそのステークホルダーたちに、一緒に目指す目的地を確認し、そして道中の現在地を確認して次に向かう方向を指し示してくれることに由来します。

ここで、トリプルボトムラインの3つに加えて、「個人の幸福」が加えられています。これは、このフレームワークの理論的根拠をつくった生態経済学者のハーマン・ディリーの提唱した「ディリーのピラミッド」を再構成したことによります。ディリーは、経済や社会のプロセスはそれ自体が目的ではなく、最大多数の個人が幸福を追求できる条件を整えることが目的であり、社会、経済、そして基盤となる環境があると考えました。企業であれ自治体であれ、その存在意義は、構成する社員、市民、顧客、受益者など個々人に対して価値提供し、その幸福あるいは福利に貢献することにあると考えているわけです。

コンパス分野毎の統合指標

コンパスを用いれば、企業、自治体、地域、河川流域、組織にとっての持続可能性の指標をつくり、その状況や進捗のパフォーマンスを評価することもできます。ステークホルダーを集め、市民や専門家たちがどのようなことに懸念を持つのか、あるいは未来の世代まで何を保全し、再生や発展をしていきたいのかについて話し合い、4つのコンパス分野のそれぞれで3~10程度の重要なアウトカムとそれらを測る指標を特定します。それぞれの指標で、システムの持続可能性条件の観点から「永続を期待できる」状態なら100点、「かろうじて可」とするなら50点、「崩壊に向かっている」なら0点のように評価します。あるいは、活動のレベルや質を3~5段階で評価してスコアにする方法もしばしば指標策定で用いられます。そして、各指標を4つのコンパス分野毎に総合するインデックスへと転換します。(指標デザインの分野において、デフォルトは均等加重で統合します。しかし、ステークホルダーに加重について議論してもらい、重み付けを行う場合もあります。)

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例えば、企業にとっての非財務のパフォーマンスは、典型的に以下のようなものが挙げられます。Wの幸福度は、顧客、社員あるいは両方を対象にしてもよいでしょう。

コンパス分野

重要なパフォーマンス

自然環境

廃棄物、温室効果ガス排出量、生態系の保全・再生、化学物質の利用、エネルギー利用、物質循環、環境教育など

経済

生産性、雇用、イノベーション、マーケティング、ビジネスモデル、価値配分、財務戦略、会計システムなど

社会

ステークホルダー・エンゲージメント、社会貢献、多様性、従業員の質、人権、政治腐敗、社会的インパクト、従業員の安全、福利厚生、職場環境、能力開発など

幸福

顧客の安全、文化の多様性・表現の自由、QOL、持続可能な商品の利用慣行、最大多数の幸福・衡平性など

何が重要なアウトカムかは、マテリアリティを定めるプロセスとして、ステークホルダーを巻き込み、また、なぜそのアウトカムを選んだかの透明性を保つことが求められます。活用した企業は、スウェーデンのFenixアウトドア、クェートのAl Sayerホールディングなどがあり、また日本でもこのコンパスを元に、CSR方針を策定した一部上場企業もあります。また、アトキソン・ネットワークとチェンジ・エージェント社では、日本企業7社を含むグローバル企業50社のサステナビリティ・レポートのベンチマーク調査の実施をしました。

多くの組織が、自社の取り組みやKPIを持続可能な開発目標(SDGs)に関連付けていますが、ステークホルダーによる情報収集プロセスを2年以上にわたって積み重ねた17ゴールを持続可能性コンパスのフレームワークに置き換えると例えば、下図のようになります。(17のパートナーシップは、統合分野としてコンパスの中央に据える場合もあります。)

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地域における持続可能性コンパスの実践

地域コミュニティ、自治体、あるいは河川流域やより広域の地域においては、重要なステークホルダーを代表する人たちを集め、共に計画や評価するなどのエンゲージメントや、より多くの社員や市民にわかりやすい言葉で伝えるためにも使えます。地域コミュニティの文脈では、典型的には次のようなアウトカムが抽出されます。米国のピッツバーグ周辺地域、ニューオリンズ周辺地域、ナンタケット島など、スウェーデンのミュエルビュー市、バルト海を囲む広域連合などで活用されました。日本でも地域創生・地域経済開発の文脈でこのプロセスを応用して熊本県南小国町が6分野でのビジョン策定を行いました。

コンパス分野

重要なアウトカム(懸念、ニーズ、関心事など)

自然環境

生態系、生息域、環境(大気・水・土壌など)の質、温室効果ガス・水利用などの環境影響、資源利用、建築・土地利用、風景の美しさ

経済

生産、消費、商品・サービス、インフラ(道路、上下水道、交通機関、電力など)、財政、雇用

社会

行政の質、教育の質、地域社会生活、組織・宗教団体、社会・文化制度、社会情勢

幸福

個人の健康、個人の成長、人間関係、生活満足度、潜在能力の発揮、QOL

指標の見える化で重要なのは、ある時点のスナップショットで見るのではなく、持続可能性の条件に対しての長期トレンドを見えるようにすることです。例えば、フロリダ州のオーランド郡とオレンジ郡では、1990-2001年までの各指標を数値化し、コンパス4領域での総合スコアのトレンド、さらに全体を統合したトレンドを見える化しました。持続可能性に関する総合スコアは100点中62点で過去12年間の間に大きな変動はありませんが、社会分野が改善、経済は改悪、環境では微増後減少で元に戻っている様子がうかがえます。関心をもった市民は具体的にどの指標で改善改悪があるか、その計算根拠や元データを閲覧できるようにすることで透明性も担保しています。

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教育機関でも、サステナビリティ活動で評価の高い米国オーバーン大学を始め、世界で166以上の教育機関がコンパスを教育プログラムや学内のサステナビリティ活動に活用しています。

社会、環境、経済やガバナンスなどの社会的インパクトをどのように測るか、定量化するかについて、あるいは持続可能性をどのように測るかに絶対的な正解があるものではありません。ただ、個別の分野では、どのように時間の経過と共に改善・改悪しているかを見たり、類似の組織や地域との比較を行ったりする実践例やモデルが多く出されています。ここに示したのは、さまざまな価値(アウトカム)は必ずしも貨幣価値評価に転ずることができないという限界を認識した上で、どのようにインデックス化、統合化を図るかの営みです。

鍵は、重要なステークホルダーを巻き込んで、多様な価値観や懸念、ニーズを探求しながら、今懸念を共有すべき現状や一緒に目指したい未来のビジョンを共有すること、そして、ビジョンや目標の実現に向けて、具体的なイノベーション、戦略・計画策定と行動への合意をとることにあると言えるでしょう。

「私どもの会社の財務結果は過去5年で○%向上し、さらに社会環境経済のパフォーマンススコアは○ポイント改善しました。今後はこの改善基調を保ちつつ、○○の分野においてもスコアの改善に注力していきます。」

「私たちの住む市の持続可能性スコアは●点です。10年前から○○や△△の改善を通じて○ポイント改善しました。次の5年ではあと△点あげるために、かくかくしかじかの取り組みを重点的に進めています。」

こんなパフォーマンス評価や改善の方向性が示されたら、私たちの社会の進歩も断然と進みやすくなるのではないでしょうか。

(小田理一郎)

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