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デニス・メドウズ『成長の限界』出版50周年記念に寄せて

2022年02月28日

本記事は、チェンジ・エージェント社アドバイザーであるデニス・メドウズ氏に対するリチャード・ハインバーグ氏が実施したインタビューの紹介です。オリジナル記事掲載元のポストカーボン研究所の許可を得て翻訳・転載しています。ローマクラブの委託を受けて出版された『成長の限界』は50年前の1972年3月2日に発刊しました。以下、リチャード・ハインバーグ氏の書いた序文からお読みください。

 本当に世界を変える本というのは、ごく稀にしか存在しない。19世紀では、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』が世界を変える書物だった。20世紀では、『成長の限界』がそのような書物だ。1972年に出版されたこのベストセラーは、環境保護運動に拍車をかけただけでなく、現代の産業界の根底にあるダイナミクスが、人間の寿命の2-3回分ほどの時間スケールで持続不可能であることを明らかにした。これは非常に重要な情報であり、すべての政策立案者が理解できるよう、信頼に足る明確な表現で伝えられた。しかし、残念なことに、この本は、世界を席巻する西洋の成長ベースの経済モデルの既得権益を持つ有力者たちによって拒絶された。今日、私たちはこの拒絶の結果を目の当たりにしている。

 この本の4人の著者のうち、デニス・L・メドウズとヨルゲン・ランダースだけが現役で活動している(ドネラ・メドウズは2001年に死去)。私は先般、この数年知己の関係であるメドウズ博士に、『成長の限界』の出版50周年にあたってインタビューしたいと打診したところ、彼は快く承諾してくれた。

リチャード・ハインバーグ(以下、RH):デニスさん、あなたにインタビューする機会を得たことを光栄に思います。前世紀で最も重要な本を共著で書かれたこと、おめでとうございます。このインタビューを快く引き受けてくださり、嬉しく思います。
 まず、50年前にあなた方が描いた成長の限界のシナリオに対して、現実はどのように推移しているのでしょうか?

デニス・L・メドウズ(以下、DLM): 最近、私たちのシナリオのいくつかと、過去50年間のグローバル・システムの進展を比較する試みがいくつかなされています。しかし、これは難しいことです。いわば、望遠鏡で集めたデータが正確かどうか、顕微鏡で確認するようなものです。実は、ここで重要な論点は正確さではありません。私たちがオリジナルの分析を行った目的は、人々が自分の選択肢と自分の周りで起こっている出来事について考えるための、概念的な枠組みを提供することでした。私たちがモデルを評価するときは、常に「より有用か」を問うのであって、「より正確か」を問うものではありません。
 さはさりながら、これまで行われた分析では、私たちが1972年の報告書で「標準シナリオ」と呼んだものに沿って世界が動いているという結論が一般的だったということも申し上げておきます。それは世界システムの集成的なイメージであり、1972年から2020年頃まで成長を続け、その後10年か20年の間に主要なトレンドがピークに達し、減少に転じるというものです。このモデルは、今でも新聞で読む内容を理解し、次に何が起こるかを考えるのに、非常に役立っています。

RH: 一般的に、環境問題が社会に与える影響について議論されるとき、資源の枯渇は公害に比べそれほど注目されません。最近では、ほぼ全員が気候変動について議論していますが、その背景には、排出量を「ネットゼロ」にすれば、消費文化、80億人の人口、クルーズ船(もちろん水素で動く)など、基本的に現在と同じ生活を続けられるという前提があるようです。たとえ最悪の気候変動の影響を回避できたとしても、人口と消費の増大が一連の枯渇危機につながるという点については、主流派ではほとんど議論されていませんし、ほとんどの科学者の間でもそうだと思われます。枯渇と汚染の影響は、将来の成長に対する制約として、どのように展開するとお考えですか?

DLM:枯渇と汚染は、すでに将来の成長に対する制約になっていると言えるでしょう。例えば、まず石油を見てみましょう。90年代、平均価格は1バレル約30ドルでした。今はインフレを考慮しても1バレル100ドル近辺です。これは、投資判断に大きな影響を与え始めています。さらに、仮に排出量をゼロにできたとしても、気候変動を回避できません。大気中の二酸化炭素の寿命(半減期は約120年)は、私たちがこれまで大気中に捨ててきたもののほとんどすべての結果を、今世紀の残りの期間、受け入れなければならないことを意味するのです。
 最後に大気中の温室効果ガスの濃度がこれほど高くなったのは、約400万年前でした。その頃は人類はおらず、海面も現在より約18m高かったのです。これはSFではありません。南極の氷床が溶ければ、世界の海面が約58m上昇することが分かっています。これは、もちろん、気温の上昇から来る海の水の膨張に追加されるものです。私たちは北極の氷床が溶けているのを目の当たりにしています。そして、現在の温暖化の影響がそのプロセスを加速させるのは間違いないでしょう。
 しかし、気候変動が問題でなくなることを想像することは(空想ではありますが)有用です。その場合でも、大きな変化が必要です。論文を読み、データを見れば、すべての大陸で天然資源が劣化していることがわかります。私たちは持続可能なレベルをはるかに超えているのです。気候変動を回避できたとしても、80億人の人口をこれまでのような生活水準で維持できる可能性はないでしょう。地球が何人の人間を養えるかを計算する学術的な演習がいくつか行われています。しかし、それは的を外した演習です。なぜなら、この地球上で人間の生活を価値あるものにするための価値観や目標、すなわち公平性、自由、福祉、人間の健康といったものをほとんど無視しているからです。これらはすべて人口過剰の影響を密接に受けているのです。現在、持続可能な人口水準がどの程度なのかはわかりませんが、西欧で享受しているような生活水準や政治状況を望むのであれば、おそらく10億人前後か、それ以下でしょう。
 将来的な枯渇は、おそらく政治的な力によって最も直接的に顕在化するでしょう。米国や中国が生活水準を維持するために輸入に依存するようになると(石油に関してはすでにそうなっています)、彼らは海外の資産を支配下に置くために政治的、軍事的、経済的手段を講じ始めるでしょう。そして、それは確実に対立をもたらすことになるでしょう。支配のメカニズムに資源を振り向けることは、国内で可能なタイプの成長を制約することになります。テクノロジーによって新しい資源がどれだけ利用可能になるかについては議論がありますが、重要なことは、一般的に言って、テクノロジーとは、化石エネルギーを使って何かを確保するための方法として理解されるべきものであるということです。そして、化石エネルギー資源が減少し始めると、これまで以上に豊富な資源を利用できるようにする技術の能力は確実に低下していくのです。

RH:『成長の限界』は厳しい批評を浴びました。その批判の多くは、文脈を無視して本の数字を予測であるかのように扱う不当なものでした。それが予測ではないことを明示していたにもかかわらずです。しかし、50年後の今、それらの批判によって初期の想定や結論のいくつかを見直すことになったのでしょうか。

DLM:もちろん、もし私が1972年当時に今のことを知っていて、もう一度チームを結成し、グローバルモデルの開発と分析のための努力を組織していたら、どのようにやり方を変えるだろうかと、しばしば自問してきました。概して、私たちは正しい選択をしたと思います。但し、エネルギーについては、重要な変更を加えることができえたと思うので、後でお話します。私たちの重要な前提のひとつは、地球全体を見ることであり、地域や国を区別しようとしないことでした。もちろん、批判を受けることにはなりましたが、今思い起こしても、これは正しい選択だったと思います。世界全体の長期的なトレンドもそうですが、人、金融、資源、エネルギーなどの国際的な移動のダイナミクスについても、私たちはほとんど知らないのです。ですから、長期的な視点で多国間のモデルを作ろうとすると、非常に複雑な数々の想定、それも無知からのやみくもな想定が必要となり、あまり有用なモデルとは言えません。

RH:気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の統合評価報告書は、World3(『成長の限界』で使われたモデル)のようなシステムモデルではなく、脱成長の可能性を考慮せず、成長のみを想定しています。モデル化のアプローチの違いと、それが温室効果ガス排出の最も極端なシナリオに与える影響について教えてください。

DLM:私たちの成長の限界プロジェクトと、IPCCをサポートするために実施されているモデリングの間には大きな違いがあります。私は、IPCCの取り組みに多大な敬意を払っています。長期的な気候変動のモデリングに携わっている多くの人々を知っています。彼らは優秀な科学者であり、良い仕事をしています。彼らは多くの有益な新しい知識を生み出しています。しかし、彼らの分析の性質は、私たちが行ったものとは全く異なっています。IPCCのモデルは、まず政治的に受け入れられるものから始めて、その科学的帰結をトレースしようとするのに対し、私たちは科学的に知られていることを見て、その政治的帰結をトレースしようとしたといっても過言ではないでしょう。

IPCCモデルでは、多くのことが外生的なままです。IPCCのモデルを使うには、人口増加の仮定、経済のGDPレベルの仮定などを設定しなければなりません。私たちは、World3モデルの重要な決定要因を内生的なものにするよう、懸命に努力しました。これは、モデル内で起きている変化に応じて、時間とともに進化していくということです。(IPCCモデルでは)人口のような重要な変数を外生的にすることで、多くの批判を免れることができます。多くの異なるシナリオを提示することができ、その中から、ほとんどの政治家が何かしら意に沿ったものを見つけることができます。

IPCCのシナリオは、あくまで気候変動に関するものであり、他の問題には踏み込んでいません。私たちは全体的な枠組みを提供しようとしたのです。つまり、どちらも有用な取り組みですが、まったく異なるものなのです。ハンマーと絵筆を手に取り、どちらが優れているかを問うようなものです。もちろん答えは、それぞれに独自の目的があるのです。

RH:「成長の限界」モデルでは、経済へのインプットとして「資源」としてまとめられていて、エネルギーも資源として含まれています。鉱物など他のすべての資源にアクセスするためにはエネルギーが必要ですから、エネルギーを特別なものとして見ているのでしょうか。一般的な資源の減少は、特にエネルギーの減少に追随するとお考えでしょうか?

DLM:私が理解する限り、私たちのモデルで最も重大な欠落はエネルギーでした。私たちは、すべてのエネルギーを暗黙のうちに非再生可能資源部門か、あるいは遠回しに農業部門のどちらかに分類していました。これは、エネルギーが無限に代替可能であることを暗黙のうちに前提にしています。この前提は経済学者が常に用いるものですが、もちろん全くもって誤りです。
 1972年だったと思いますが、石油の禁輸が行われたときのことを今でも覚えています。経済学者たちは、「まあ、心配ない。アメリカのエネルギー経済はGDPの4〜5パーセントに過ぎない。だから、完全に停止しても、GDPはそれほど下がらないだろう」と言いました。もちろん、それは現実を理解する上で非常に愚かな方法です。エネルギーがなければ、GDPもほとんど成り立ちないのです。エネルギーの利用可能性の低下が、資源の利用可能性と密接に関連するか、あるいは緩やかにしか関連しないかは、まだわかりません。もちろん、エネルギーの利用可能性は、物理的な量だけでなく、有用なエネルギーも含まれます。エネルギー投資収益率(EROI)という概念は非常に重要であり、おそらくあなたのウェブサイトをモニターしている人たちにはよく知られていることでしょう。それが低下傾向にあることも周知の通りです。チャーリー・ホールは、私たちのような複雑な経済を維持するために必要なEROIを計算するための先駆的な研究で、私が見た中で最高の仕事をしました。まだ道半ばですが、最大の問題は、エネルギーの投資収益率の低下でしょう。

RH:あなたの本を読み返してみて、161ページから始まる素晴らしい提言が印象的でした。これらの提言を、当時、世界中の政策立案者が採用してくれたならばと思いますが、残念ながら、ほとんど採用されませんでした(ただし、人口増加を遅らせるための努力は一部成功しました)。50年後の今、異なる提言が適切だと思いますか?

DLM:私は、私たちの本の3つの版をすべて読み返してみました。その結果、優れていたかどうかは別にして、提言らしいものはどこにも見当たりません。[RH注:もちろんデニスの言う通り、「提言」そのものはなく、1975年から出生率と死亡率の均等化をもたらす政策を適用するなど、21世紀を通じて安定した世界状況を作り出すためにシナリオに盛り込まれた仮定条件に過ぎません]。しかし、当時の提言が何であったにせよ、今となっては関係ないことは確かです。1972年当時、人類が地球に与える影響は、おそらく持続可能なレベルを下回っており、当時の目標は、限界に達する前に事態を遅らせることだったのです。しかし、現在では、人間活動の規模が限界をはるかに超えていることは明らかです。そうすると、私たちの目標は、減速することではなく、引き下げることとなります。平和的かつ公平で、できれば十分に自由な方法でシステムをうまく動かし、人類の要求を地球が負担できるレベルまで引き下げる方法を見つけることが目標なのです。これは、私たちが取り組んだ問題とはまったく異なるものです。そのためには、私たちが構築したモデルとはまったく異なる種類のモデルが必要であり、私たちが書いた本とはまったく異なる種類の本が必要なのです。私たちの分析では、さまざまなシナリオを説明する際に、最初の主要変数がピークに達して下がり始めた後のモデルの出力については決して言及しないように注意しました。なぜなら、そうなれば社会と政治システムに非常に大きな変化が生じ、私たちのモデルはほぼ間違いなく全く無意味なものになってしまうと理解していたからです。ですから、まだまだ興味深い研究がなされる必要があります。興味深い疑問はまだたくさんあります。でも、それを始めるには、私たちの研究とは別のところに目を向ける必要があるでしょうね。

RH:政策立案者は、当時よりもオープンになっていると思いますか?

DLM:政策立案者がオープンかどうかが問題ではなく、50年前と比べて建設的な行動を取る可能性が高くなったかどうかが問題です。これは複雑な問いで、私には答えがわかりません。行動を起こすには、オープンであるだけでなく、リソースや関心も必要です。例えば、私は、気候変動が近づいていることを人々に納得させることができました。しかし、彼らは行動を起こしません。それは、私を信じていないのではなく、関心がないだけなのです。彼らは、現在のシステムが自分たちに求める権力とお金を与えてくれるという短期的な視点に集中しているのです。変革の必要性を感じていないのです。
 皮肉なことですが、この種の問題では、時間が経つにつれて、懸念は高まる一方で、使える資源は減少する傾向があります。そして、政策立案者が何かに対して十分に関心を持ち、何をすべきかを考え始める頃には、政策立案者が大きな効果を発揮するための十分な使える資源を持たなくなっていることがよくあるのです。さらに、私が「時間軸の悪循環」と呼ぶものがこれに拍車をかけています。過去に効果的な行動をとらなかったために、危機はどんどん膨らんでいくのです。危機が訪れると、ますます短期に集中し、時間軸が縮んでしまうのが政治対応の本質です。そうすると、根本的な問題解決にならないことをするようになり、危機はさらに悪化します。危機が悪化すればするほど、時間軸はさらに縮み、間違った意思決定が増え、危機はさらに高まります。それが今の私たちの姿です。
 私は時々、ジェットコースターという比喩を使いますが、ドイツの聴衆にとっては、ミュンヘンのオクトーバーフェストのジェットコースターが最も有名な例でしょう。1972年当時、私はこの比喩を使って、状況は、切符売り場でジェットコースターに乗るべきかどうか迷っている人たちのようなものだと言うことができます。まだ、乗らないチャンスはあったのだ。でも、この例えの場合、彼らは乗ってしまった。彼らはジェットコースターに乗り、最初の丘の上まで短期間の成長を楽しみました。今、彼らは下り始めようとしており、もはや建設的な行動をとる余地はありません。ただ、しがみつき、生き延びることを願うだけです。これは、私たちの状況を単純化して理解する方法ですが、政策立案を有効な視点に導いてくれます。

RH:当時の提言(あるいは新たな提言)のうち、最も重要なものは何でしょうか? 雪崩を打つ小石のような、変化を引き起こすアイデアはないのでしょうか。

DLM:1972年当時に行った提言は、今となっては意味を持ちません。ですから、理論的には、人口増加を食い止めることや、遠くの人々への関心を高めることが、50年前に私たちができた最も重要なことだったかもしれません。しかし、今となっては遅すぎるのです。もし、私が新しい変化の機運を起こそうとするならば、それは人間の認知の本質を理解することでしょう。なぜ私たちは、短期的かつ局所的な問題に目を向けがちなのでしょうか。実は、こうした問題の根本的な解決策は、長期的かつ遠方にあるのです。そして、やるべき研究はたくさんあります。経済学者たちは、GDPが永遠に拡大し続けるという前提で提言を行なってきました。しかし、確実に、永遠の拡大はなしえません。その意味を理解し、その事実に対してどのような現実的な政策提言ができるかを考え抜く必要があります。そういうことを考えてはいるのですが、具体的な提言を述べるまでには至っていません。

RH:人々が自然に対して最大限の力を発揮するという考えを捨て、「十分」という考えを良い生活のための組織原理として受け入れる見通しについてはどうお考えでしょうか? それは私たちの遺伝子に逆らうことになるのでしょうか、それとも文化的な条件付けで変えられることでしょうか?

DLM:私たちの種であるホモ・サピエンス、ひいてはそのグローバル社会は、ほとんどの場合、私たちが認識していない範囲において、30万年から40万年にわたる進化の結果であり、その間、遠くて長期のことを心配するのではなく、近くて短期のことに焦点を当てることに高い生存価値があったのです。その結果、そうして私たちが今持つにいたった精神的、制度的な基盤が、初めてそうでないことを必要とする問題に対処しなければならなくなったのです。私たちが変化する方法には、社会的なものと生物学的なものの2つがあります。私たちの種の遺伝子の根本的な変化には、3,000年から4,000年の歳月が必要です。建設的な突然変異がかなり広く普及するまでには、それくらいの年月が必要です。社会的適応は、少なくとも理論的にはもっと早く起こる可能性があります。そこで問題は、私たちの社会システムが、より現実に即した形で変化する見込みはあるのでしょうか? 理論的には、見込みは高いです。現実には、どうでしょうか。私たちが直面している中核的な課題は、今のシステムが多くの人々の利益に非常によく役立っているということです。今のシステムから富と政治的権力を得ている人々がたくさんいるのです。そしてもちろん、誰かが変化を進めると、既得の力を持つ人々は抵抗するでしょうし、これまでも抵抗してきました。化石燃料産業はその一例ですが、何千もの例があります。原子炉を建設することで何百万ドルも稼いでいる人たちがいることを知らなければ、原子力の議論を理解することはできないでしょう。

ですから、私のような物理科学者ではなく、社会学者や政治学者に、社会を変えるための見通しについて尋ねる必要があるのです。過去において、社会の変化は危機の時期に急速に起こりましたが、典型的には平和な時期に成功はしませんでした。危機が拡大するにつれ、私たちはどのような変化が可能なのかに目を開くことになるでしょう。

RH:あなたは、人々がどのように行動を変えるかについて研究されていますよね。若い活動家にとっても参考になるような貴重な教訓はありましたか?

DLM:私は年老いた活動家です。80歳です。人生を始めたばかりで、今後60年、70年先が見えている若い人たちの気持ちになれるとは思えません。それでも、若い人たちが考えるべきことをいくつか提示することはできるかもしれません。ひとつは、人は富、愛情、名声、権力など、さまざまな要因によって動かされていることを認識することです。そして、もしあなたが誰かに変わってほしいと望むなら、その人の動機が何であるかを理解し、あなたが起こしたい変化が彼らの利益につながることを説得する必要があります。もし彼らの遠く離れた人々や未来に関心をもってくれるならば、難しくはないでしょう。しかし、それが何であれ、人は自分たちの利益になることを見いだす必要があるのです。私の経験では、それが例えいい考えであっても、すべてを投げ出して、そのアイディアを聞きいれてくれる人はめったにいません。
 もうひとつは、この先何十年で何が起ころうとも、その瞬間瞬間に様々なことを試みるチャンスがあるということです。その中には、状況を改善するものもあれば、悪化させるものもあるでしょう。そして、状況の改善に向けて挑戦し見いだしていくことは、倫理的に満足できるし、望むらくは効果にもつながるでしょう。
 何が起こるかわかりません。私のシナリオにある(ピーク後の)下降する曲線を見るに、今後40~50年の間に地上がどうなっているか、正直言ってわかりません。しかし、私が想像するのは、ある人々は崩壊をあまり意識せずにこの時期を過ごすでしょうし、もちろん、またある人々は個人的な状況、文化、コミュニティなどがすでに大きく衰退していることでしょう。いずれにせよ、なんらかの実用的なスキル、ささやかな願望と良い社会的ネットワークを持っている人であれば、良い結果を得られると私は思っています。最後に何か端的なアドバイスをするとすれば、(仲間や共同体などの)社会的ネットワークを築くことでしょうか。新しいアイデア、サポート、補強、そして満足の源として、社会的ネットワークが役立つことでしょう。

RH: デニス、今回もお話をありがとうございました。そして、私たちの世界的な苦境を理解するために、あなたが長年にわたって行ってきたことに深く感謝します。

2022年2月22日


原文はResilience.orgに掲載されています。
https://www.resilience.org/stories/2022-02-22/dennis-meadows-on-the-50th-anniversary-of-the-publication-of-the-limits-to-growth/

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