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システム思考事例「ピープル・エキスプレス航空」(後半)

システム思考事例「ピープル・エキスプレス航空」(前半)からのつづきです。


ドン・バーと仲間たちによって1980年に設立されたピープル・エキスプレス社は、81年4月に3機で定期便就航を開始して以来、競合よりも平均4割以上安い価格と心に残るサービス体験が顧客にアピールし、破竹の勢いで航路、航空機数、旅客数と売上の成長を遂げました。85年までには航空機数は72機まで増え、買収によって傘下にフロンティア航空などを加えて、航空業界において全米5位の規模まで躍進しました。

成長戦略のマイナス面

 ピープル・エキスプレス社は成長躍進しながらも、けして順風満帆とは言えない状態でした。その成長の秘訣の中には、マイナス面をもつことも少なくなかったからです。バーは初年度から3機の航空機で甘んじることなく、航空機購入の魅力的な取引を成立させていきます。もとより、大手や競合よりも少ない人数で航空機の運営をする戦略のために、高い資質の人財を高倍率で雇う方針は変えませんでした。結果、採用担当者のフル稼働にもかかわらず、慢性的な人手不足があちこちの職場で発生します。

多くの職場では、既存社員の猛烈な働きぶりで切り抜けていきました。また、人手不足を臨時社員で穴埋めするケースも増えていきます。臨時社員は、常勤社員のような充実した教育プログラムもなければ手厚い報酬体系の対象でもありませんでした。業界標準よりも少ない人数で現場を回す常勤社員たちは、業務のマンネリ化・固定化をさけるためのジョブ・ローテーションの実施が難しくなっていきます。地上と機上、ラインとスタッフといった役割が徐々に固定化していきました。さらに、長時間労働が常態化し、若手社員や家族を持つ社員たちのライフワークバランスは崩れ、健康問題や離婚問題を抱える幹部や社員が多数見受けられるようになっていきます。

こうして、職場全体の士気の低下の予兆は会社に広がり始めていたものの、1982年秋時点の風土調査に拠れば、常勤社員たちはおおむね仕事に満足し、持ち株制度のメリットなどを享受していました。しかし、将来に関しては悲観的な見通しが多く見られたのもこの時期です。成長の中核的な人事戦略も、急速な成長と人手不足によって、現場では歓迎されず、また経営陣の支援の不足を感じるようになっていたのです。幹部社員も、事業の成長にブレーキをかけてはと考え始めましたが、CEOのバーは自分自身の30代の経験を踏まえ、今こそが自分の能力をストレッチする時期でありとさらにアクセルを踏み込む勢いでした。

1983年の財務結果は売上2.9億ドル、利益1000万ドルを上げる好業績で、株価も上昇し、ピープル社の市場価値は5億ドルにもなりました。IPO当初4ドル程度だった株価は一時期26ドルにも及びます。積極的な航空機購入と新規航路開拓の中にあって、搭乗率は1983年平均74%まで上昇していました。

競合の反撃

ピープル社が存在感を増すに従って、顕著になってきたのは大手競合の反撃です。当初参入時の妨害に始まり、また、格安航空会社との競合路線では意図的に価格を下げて、航路撤退に追いやるなどの対策が見られました(新規参入会社の撤退後に露骨に価格を戻す慣行は、その後規制の対象になりました)。

1981年、業界2位のアメリカン航空が、自由化による業績悪化に対抗する手段として、顧客の囲い込みを目指すマイレージサービス「AAdvantage」を開始し、同年大手各社もそれぞれのマイレージサービスを開始します。この囲い込みの対象となる大手競合の顧客は徐々に広がっていきました。

1985年1月、アメリカン航空は、「アルティメート・スーパー・セーバー」を発表します。これは路線ごと、搭乗日ごとに搭乗率の状況を考慮して、より細かな価格設定を可能にするシステムです。例えば、30日前までに、返金・変更不可の便を購入すると70%以上の割引価格を提供することができます。今でこそ、航空会社、旅行代理店、そしてユーザー顧客までもがインターネットにアクセスして、リアルタイムで販売・予約状況に応じて価格を変えるのは難しくはありません。しかし、1985年のインターネットのビジネス利用は十分に進んでいない時代におけるシステムは画期的なものでした。その実現のために、アメリカン航空は、旅行代理店ネットワークの販売窓口に、予約可否や価格の最新情報をリアルタイムで確認するためのコンピューター端末を配備しました。これによって、旅行代理店のエージェントたちは、できるだけ価格を抑えたいバジェット・トラベラーたちであっても、あるいは正規料金を払ってでも柔軟性を重視する顧客であっても最適の提案ができるようになりました。当時のアメリカン航空の会長は、「1000人の顧客がいたら1000通りの価格提供ができてしかるべきだ」と言ったそうです。

この画期的な価格マネジメントシステムは、大手による格安航空会社対策を展開させやすくなりました。ピープル社などの格安航空会社はたいてい一つの価格しか持ちません。それに対して、大手はエコノミークラスでありながら、正規を払ってでも柔軟性を求める顧客への価格を下げることなく、より価格にうるさい顧客へもアプローチして、格安航空会社に対抗できるからです。

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写真:Tomwsulcer, CC0, via Wikimedia Commons

かみ合わない歯車

1985年まで航空機数と買収会社が増やし続けた反面、今まで年当たり倍増を続けてきた旅客数は84年から伸びが鈍り始め、搭乗率も低下傾向となります。そして、常勤職員数が1984年の4000人をピークに減少に転じました。現場の人手不足にあってなお増えている旅客数に対して、電話による予約システムはパンク状態となりオーバーブッキングも増えます。搭乗ゲートでは混雑、遅延が多発しました飛行機の出発・到着時間の遅れやキャンセルの増加につながりました。

その結果として、かつて業界最高レベルであったサービス体験の質は顕著に低下し、1986年までには苦情件数が業界ワースト1位となりました。振り返って見れば、サービス低下の傾向は、搭乗率が上昇していくに従って徐々に起こっていました。業界最安の価格に引かれる顧客は我慢している一方で、サービスの質や時間の信頼性を重視する顧客は徐々に離れていき、最後には価格面だけで選ぶ顧客ばかりが残ります。

高い顧客サービスの質は、実は従業員のやりがいの重要な要因でもありました。しかし、この職場では忙しさに追われるばかりで顧客からの感謝はなく、むしろ増えていく苦情への対応に追われます。加えて、株価も下がり始めて実質的な報酬はマイナスに向かいます。こうして、社員の意欲と顧客サービスの質はますます低下していきました。

加えて、1985年に買収したフロンティア航空の経営も難航します。組合を持たないピープル・エキスプレス航空が、組合を持つフロンティア航空を買ったわけですから、ただでさえ違いが大きい上に、フロンティア航空の4000人の従業員にとってはピープル・エキスプレス航空の特異な事業戦略及び組織戦略は受け入れることは難しいものでした。

赤字転落と売却交渉

増収傾向にもかかわらず1985年第4四半期は3200万ドルの赤字に転落し、86年第1四半期は5800万ドルまで赤字が広がります。86年6月には悪評も広がり、搭乗率がさらに低下し、価格大幅減を余儀なくされました。こうしてドン・バーは、ピープル・エキスプレス社及びフロンティア航空などの売却の意向を固めます。

M&A交渉に応じたのは2社。古巣のロレンツォが7月に全グループに3.14億ドルを提示したのに対して、ユナイテッド航空はフロンティア航空のみに絞って1.46億ドルを提示しました。バーはユナイテッド航空との交渉を選択します。しかし、8月にかけてユナイテッド航空との交渉はまとまらず、資金が尽きて同月フロンティア航空の倒産を宣言しました。

行き場を失ったバーは、結局ロレンツォと再交渉して、9月14日1.25億ドルまで値踏みをされて売却を決定します。その後、ピープル社はロレンツォの傘下にあったコンチネンタル航空に吸収されて1987年2月1日に消滅します(その後、相当の期間を経て後に、コンチネンタル航空も2010年にユナイテッド航空に吸収されます)。株式上場当初4ドル、最大26ドルまでいった株価も最終的には10ドル程度に低迷し、従業委員たちが持ち株制度を通じて期待していた差益の大半は消えてなくなりました。

ドン・バーの残したもの

ロレンツォは現場との対立が続き1990年には引退、バーは充電時間を経て「エアタクシー」をコンセプトとするビジネスで再起を図ったそうです。

そして、このピープル・エキスプレス社のベンチャーは人々に様々な足跡を残しました。映画『ウォール街』のモチーフとなったほか、格安航空会社LCCの先駆者としての躍進は、大手航空会社のマイレージサービス、IT活用の価格マネジメントシステムなどのイノベーションの火付け役となりました。音楽会社の成功で大成功したリチャード・ブランソンは、ピープル社のロンドン-ニューアーク便に乗るために電話予約を試みますが、2日間まるまる予約の電話がつながらない様子を見て、新規参入の余地ありとみて、バージン・アトランティック航空を立ち上げます。

ビジネス・アナリストの中には、ピープル・エキスプレス社の寛大な人間志向の経営理念のように高邁な理想や民主的な職場は利潤追求と相容れないと考える人たちもいました。しかし、実際にはバーたちの事業戦略の設計と指導力の問題であったと考えられています。事実、ピープル・エキスプレス社に類似した組織戦略を展開した格安航空会社のサウスウェスト航空は、その後も持続的に成長して、もっとも働きやすい会社ランキングの上位常連として君臨します。バーの失敗は、組織戦略そのものではなく、事業戦略と組織戦略の非合致に対する適応の失敗であったと言えるでしょう。

人の成長や人と人の協力のあり方を突き詰めることで、とてつもない生産性向上とクリエイティビティの実現が可能であると信じたドン・バーの夢は、時代を超えて、多くの人たちに受け継がれています。改めて、人の可能性を信じる組織が、自分たちの組織内部を見つめると共に、組織外部の顧客、競合、マクロ環境など、自分たち組織を取り巻く周囲の環境を見通しながら、内外の相互作用をよりよいものにしていくよう学習サイクルを回すことの重要性を示しています。

振り返り

1) ピープル・エキスプレス社の事例で印象的なことは何でしたか?

2) 前半に書いたループ図に対して、後半の内容からどのようなループを追加できるでしょうか?

3) ループ図に描かれた構造の全体像を踏まえて、もしあなたがドン・バーだったら、1982年末の時点で、どのような戦略や方針を打ち出しますか?

4) ピープル・エキスプレス社に見られたパターンや構造をもとに、ベンチャーや新規事業の立ち上げにあたって、どのような洞察、問い、あるいは学びを抽出できるでしょうか?

セミナーのご案内

チェンジ・エージェント社では、ピープル・エキスプレス社の事業環境や初期条件を元に開発されたビジネス・シミュレーション「ピープル・エキスプレス」を活用した1日のワークショップを提供しています。開催予定は2021年10月28日です。詳しくはこちらをご覧ください。

https://www.change-agent.jp/events/001393.html

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