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アダム・カヘン氏講演録:社会システムに変容をもたらすためのラディカル・コラボレーション: 愛・力・公義に取り組み、「共に」「前へ」「進む」(後編)

2023年05月17日

アダム・カヘン氏特別講演イベント
「コラボレーションをみつめ直す:いかに違いを超えて、システムを変容するか?」講演録

社会システムに変容をもたらすための
ラディカル・コラボレーション

愛・⼒・公義に取り組み、「共に」「前へ」「進む」 (後編)

アダム・カヘン、レオス・パートナーズ社

2023年3月12日 東京


私がCOP27に行った具体的な理由は、レオス社が企画した「ラディカル・クライメート・コラボレーション・イニシアチブ」の活動について共有するためでした。この取り組みの最初の成果は『気候アクションを加速させるラディカル・コラボレーション:スピード・規模・公義を実現する協働のためのガイドブック』と題した出版物であり、ラディカル・コラボレーションを可能にする7つの一連の実践をまとめたものを提供しています。それらの実践、「すべきこと」のうちの2つは、愛に取り組むための実践的な方法です。1つ目は、「自分の役割を果たす」(システム的な変容に対する自分の特定の役割や貢献を果たす)ことです。その反対のすべきでないことは「相互依存を無視する」(他者が何をしているか、何が必要とされているかに関係なく、ただ自分のやりたいことをやる)ことです。2つ目の実践は「必要な同志を見つける」(自分の役割を果たせるように、協働すべき人たちを探し出す)ことです。その反対は、「心地よい領域に踏みとどまる」(自分が知っている人、好きな人、同意できる人としか協働しない)ことです。

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ラディカル・コラボレーションでは、愛に取り組まなければなりません。愛への取り組みを避けることは、相互依存している現実を無視することです。愛を用いないコラボレーションは、社会システムを変容させることはできないでしょう。しかし、愛に取り組むことは一筋縄ではいかないものです。愛が切り離されているものを再統合しようという衝動であるとすれば、再統合される全体とは何でしょうか? ここでは、宇宙論のようなかけはなれた意味を除けば、「一つの全体」というものは存在しません。詩人のレナード・コーエンは、「高いところから見れば、まとめて1つに見えるかもしれないが、俺たちの住むここに降りてくれば、実は2つに分かれているんだ」と書いています。地上の私たちの住むこの場所には、多くの「ホロン」、すなわちより大きな全体の一部である全体が存在します。例えば、私も自身の中の一つのホロンでもあり、家族、レオス社、そして今日ここにいるグループというより大きなホロンの一部でもあります。気候変動に取り組むのが一筋縄ではいかない理由の一つは、切り離されているものを再統合しようという衝動が、同時に多くの別々のホロンの中で、矛盾した形で起こっているためです。それには、地球上のあらゆる生命や全人類のホロンだけでなく、個々の国や同盟、組織のホロンも含まれます。私たちは愛に取り組まなければなりませんが、それは簡単なことではない のです。

そして、愛をもって取り組むだけでは、社会システムを変容させることはできません。ジョン・レノンは"All You Need is Love"(愛こそはすべて)と歌っていましたが、これは間違いです。私が『手ごわい問題は、対話で解決する』で概説した理論と実践では不十分でした。私には見落としているものがありました。オチャエタの話を聞いたグアテマラでのワークショップから10年後、私はそのチーム・メンバーの一人である研究者、クララ・アレナスに会いました。彼女は、私がこれまで愛を重視してきたことに異論を唱え、こう尋ねました。「先週、私が所属する市民社会組織の連合が、この国の主要新聞に全面広告を出して、政府との対話にはもう参加しないと表明したのを知っていますか? 政府は、私たちが対話に参加するための前提条件として、街頭での行進やデモを控えるようにと言っています。しかし、こうした活動は、私たちが力を結集し表明するための大切な手段であり、対話のために力を放棄しなければならないのなら、対話には興味がありません」。

私が見落としていたのは「力(Power)」でした。ラディカル・コラボレーションは、システムを変容したいと願い、現状を維持したがる人々に打ち勝とうとする、参加ステークホルダーの個人的および集合的な力に頼っています。力を味方につけていないコラボレーションでは、社会システムを変容することはできません。

COP27では、力が2つ目の推進力でした。私が経験したバザールのような喧噪は、何千人ものステークホルダーが、プレゼンテーション、提案、働きかけ、売り込み、抗議などを通じてそれぞれの力を表現し、それによって他者と合意したり取引したりして、気候危機への取り組みに一層大きな貢献をしようとしている音でした。

ティリッヒは、力を「生けるものすべてが、自己を実現しようとする衝動」と定義しました。この文脈での力は、主に「させる力」というよりは「する力」を意味します。誰もが力によって動かされています。しかし、力を使って何をすべきかについての理解はそれぞれ異なります(多くの場合、自分自身や家族、組織、コミュニティの「する力」に焦点を合わせています)。力は、一つひとつのホロンの現実の自主性、主体性、野心から生まれます。社会システムの2番目の次元がそうした全体性であるとすれば、力は、この次元で私たちが上がったり下がったりするための衝動となります(ここでは、各ホロンがより大きなホロンの一部であることを意味する「部分性」、各ホロンそれ自体が全体であることを意味する「全体性」という言葉を使っています)。

公民権運動の指導者であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、ティリッヒの教えを学んでいました。キングは、ティリッヒの愛と力の定義をもとにこう述べています「力とは、適切に理解されるならば、目的を達成する能力にほかなりません。それは、社会的、政治的、経済的変革を起こすのに必要な強さです。歴史の大問題の一つは、愛と力の概念が、たいていは相反するもの、対極にあるものとして対比させられてきたことです。その結果、愛は力の断念と同一視され、力は愛の否定と同一視されています。今こそ、こうした誤りを正さなければなりません。私たちが理解しなければならないのは、愛なき力は無謀で乱用をきたすものであり、力なき愛は感傷的で実行力に乏しいものだ、ということです。現代の深刻な危機を引き起こしているのは、まさにこの道徳なき力と力なき道徳の衝突なのです」。このキングの言葉に触発されて、私は2冊目の著書『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』を書きました。

ラディカル・コラボレーションは、ステークホルダーがそれぞれの目的、視点、立場といった全体性を主張できるようになったときに力を発揮します。ラディカル・コラボレーションの3つ目の実践、つまり「すべきこと」は「集合的な力を構築する」で、他のステークホルダーと協力してシステムを変革する方法を見つけ、実行することを意味します。反対に「すべきでないこと」は、「自分のやり方を強要する」、つまり自分の思い通りにみんなを動かそうとすることです。

ラディカル・コラボレーションは力をもって行わなければなりません。力との協働を避けることは、自己実現と自己利益の現実を無視することになります。しかし、力との協働は一筋縄ではいきません。それぞれの目的を持った異なる人々や組織が協働しようとすると、大抵は競争や対立を生み出します。力と協働するために必要な実践は、4つ目の「他者との違いに取り組む」であり、互いの違いを通じて、あるいは違いを包み込むように取り組むことを意味します。その反対は「同意を要求する」で、進歩には合意が必要だという間違った思い込みのことを指します。私たちは力と協働する必要がありますが、これは簡単なことではありません。

公義

また、愛と力をもって取り組むだけでは、社会システムを変容することはできません。私が『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』で概説した理論と実践でもまだ不十分で、ここでも私には見落としているものがありました。またしても、それを指摘してくれたのはアレナスでした。「力と愛のバランスがあれば、あらゆる人を満足させながら物事を改善できる、というあなたの考え方には、ある種の見通しの甘さが感じられます。どうしてそうなるのでしょう? グアテマラのように大きな不均衡や不平等が存在する状況で、どうしたら社会のある部分が大きな不満を抱くことなく、貧困を根本から解消できるのでしょうか? 影響を受けるのは、そうした人々の経済的な利益です。論文の世界では、すべての人が満足できるようなバランスを実現することは可能でしょうが、非常に大きな不平等がある中で「現実」の政治に踏み込むと、そうはいかないのです」。

私が見落としていたのは、「公義(justice)」でした。哲学者のナンシー・フレイザーは「現実には、公義に直接出会うことはありません。その一方で、私たちは不公正を実際に経験し、その経験を通じて公義の観念を形成するのです」と言います。つまり公義とは、不公正を減らそうという衝動です。不公正はあらゆる社会で起こっています。不公正とは、一部の人が自分の力を使って、他の人の力を排除したり、制限したり、抑圧したりすることです。世界中に広がった「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)」の社会変革運動は、そうしたひどい抑圧の事例に端を発しています。ミネアポリスの警察官デレク・ショーヴィンは、ジョージ・フロイドの首を自分の膝で9分間圧迫し続け、死亡させました。

COP27では、公義が3つ目の推進力でした。気候危機の不公正もひどいものです。主にグローバル・サウスで気候変動に最も苦しんでいる人々は、気候変動の原因を作った人々でもなければ、気候変動に適応する手段を持っている人々でもありません。この不公正は、1992年に国連気候変動枠組条約に各国が署名して以来、気候変動の交渉の中心的課題であり、様々な国の「共通だが差異ある責任」が認識されるようになりました。南側諸国の多くのステークホルダーは、この不公正に対して適切な対応が行われない限り、北側諸国のステークホルダーとは積極的には協働しません。COP27において最も重要なブレイクスルーは、気候変動による歴史的な損失や損害を補償するために北から南へ資金を提供し、気候変動の進行を食い止めるために化石燃料からの「公正な移行」を可能にすることによって、このギャップを埋めるという合意です。

コラボレーションによる社会システムの変容には、公義が必要です。システムを効果的に変容するためには、すべてのステークホルダーの参加が必要です。自分が不当に扱われていると考えるステークホルダーは参加しようとしません。彼らは、自らの力で変容に影響を与えようとしなかったり、力を行使して変容を妨げたりします。公義を活用しないコラボレーションでは、社会システムの変容はできません。

誰もが公義によって動かされていますが、不公平に扱われているのは誰か、についての認識は異なります(多くの場合人々は、自分または自分の組織やコミュニティがどれほど不公平に扱われているかに注目します)。2010年、私はタイで、政治的、経済的、地域的な利害関係に関連した親政府勢力と反政府勢力との間の激しい政治的対立に取り組むプロジェクトを開始しました。プロジェクトの主催者は私のために、政界、財界、軍部、メディア、上流階級、市民社会のリーダーたちと一連の会合を設定してくれました。丸3日間、私は窓のない明るいホテルの会議室でこうした人たちと次々に話をしました。馴染みのない環境や文化の中で、この複雑な紛争について、強い意志を持った人たちの意見を次々に聞くという体験に、私は戸惑いを覚えました。しかし後になって、私が聞いていたのは単純なことだったということがわかりました。誰もが、自分たちが正しくて相手が間違っている、さらに言えば自分たちは不公平な扱いを受けており、不公正の犠牲者であると、私を説得して味方につけようとしていたのです。彼らは、単に私に不満をぶつけているわけではなく、私たちの共通の関心事である「公平さ」について訴えていました。

学者のアマルティア・センは、著書『正義のアイデア』の冒頭で次のように語っています。「チャールズ・ディケンズの『大いなる期待』の中で、ピップは「子どもたちが存在する小さな世界では、不公正ほど繊細に知覚され、繊細に感じ取られるものはない」と言っています。明白な不公正は強く認識されるということは、大人にも当てはまります。当たり前のことですが、私たちの心を動かすのは、世界は完全に公正ではないという認識ではありませんし、そんなことを期待している人はいません。それよりも、私たちの周りに明らかに改善可能な不公正があること、そうした不公正をなくしたいと願う気持ちが私たちを動かすのです」。

公義は、不公平な社会システムによって、人々が対等な仲間として参加することが妨げられているという現実から生まれており、そうした不公平によって、システムを変容したいという衝動が生じます。未来学者ウィリス・ハーマンは、人々がある状況を「不運なこと」として捉えている状態から、「受け入れがたいこと」として捉えるように変化したときに、こうした衝動が生まれると述べています。社会システムの第3の次元がこのような公平性であるとすれば、公義は、私たちがこの次元の中を行ったり来たりできるようにするための衝動です。公義は、より多くの人々がより多くの力、より多くの愛を活用できるように構造を変容します。文化的認識、経済の再分配、政治的代表権を通じてこうした変容を実現するのです。例えば南アフリカのアパルトヘイトから民主主義への移行において、社会構造の変革は、不完全ではあるもののこれら3つをすべて含むものでした。人間性の認識とそれによる黒人の人権の認識、黒人を含めた経済機会の再分配、そして指導的役割における黒人の地位向上です。

ラディカル・コラボレーションは公義をもって行わなければなりません。公義とともに実行しなければ、不公正の現実とその結果を無視することになります。しかし、公義とともに行動することは簡単ではありません。公平さをどのように評価するか、誰が不公平に扱われているかについては、多くの場合、様々な人々が相反する考えを持っています。また、現状から恩恵を得ている人々が、その力、地位、特権を維持するために戦っている場合、社会構造の変容は困難です。私たちは公義をもって取り組む必要がありますが、これは簡単なことではありません。

結論

これまでの話をまとめましょう。社会システムを協働的に変容するためには、愛、力、公義をもって取り組むことが必要です。これは、私が最新の著書『共に変容するファシリテーション――5つの在り方で場を見極め、10の行動で流れを促す』で初めて明確にした理論と実践であり、現在も継続して取り組んでいることでもあります。

この3つの衝動はすべて、あらゆる社会システムの中に存在しています。私はこの3つの衝動すべてを自分自身の中に感じ、毎日の新聞の第1面に3つの衝動すべてを目にします。もしあなたが社会システムを変革しようとするなら、こうした衝動すべてを理解し、それらとともに取り組むようにしないと、混乱し挫折してしまうでしょう。これらの衝動が存在しないことにして社会的空間を進もうとするのは、重力が存在しないことにして物理的空間を進もうとするのと同じことです。目指す場所にたどり着くことはできず、転んで怪我をしてしまうでしょう。私が過去30年以上にわたって関わってきたインパクトのある社会変革のプロセスは、すべてこの3つの衝動と関係しています。例えば、南アフリカのモン・フルーのプロセスは、アパルトヘイトによる分断を乗り越えるための愛、国の変革を実現するために幅広いグループのリーダーを巻き込む力、人種差別を正す公義によって推進されました。

多くの人は、愛、力、公義のどれか一つだけに焦点を当てます。どんな時でもこれは間違いです。力と公義を無視して愛のみで動くことは、キング牧師が言うように、感傷的で実行力に乏しい結果につながります。例えば気候の分野では、愛だけで行動すると、地球レベルの危機にのみ注意を払うことになり、危機に対処するために様々なステークホルダーには何ができて、何をする意思があるのかということを無視することになります。組織において愛だけで行動すると、組織全体の結束や成果にのみ注意を払うことになり、様々なチーム・メンバーには何ができて、何をする意思があるのかを無視することになります。

愛と公義を無視して力のみで動くことは、無謀かつ乱暴な結果につながります。気候への取り組みでは、力だけで行動すると、各ステークホルダーの利益と行動にのみ注目し、その力が他者や地球に与える影響を無視することになります。組織において力だけで行動すると、チーム・メンバー各自の利益と行動にのみ注意を払い、各自の力が他者や組織に与える影響を無視することになります。

そして、愛と力を無視して公義のみで動くことは、法律万能主義の不毛な結果につながります。気候への取り組みでは、公義だけで行動すると、過去の過ちを正すことだけに注意を向けることになり、未来を見据えて今できること、やるべきことを無視することになります。組織において公義のみを貫くということは、チーム・メンバー全員を公平に扱うことだけに注意を払い、自分自身や組織のために今できること、やるべきことを無視することになります。

愛、力、公義をもって行動するということは、決して簡単なことではありません。この3つの衝動は常に緊張関係にあるからです。従って、ラディカル・コラボレーションの5つ目の実践とは「自分自身を大切にする」、つまりこの仕事で直面する人間的な問題に注意を向けることです。その反対は「ただただ押し進め続ける」で、自分自身と他者にもっと多くのことを要求し続けることになります。

愛、力、公義の間には安定して静的にバランスを取れるポイントはなく、動的なバランスを作り出す必要があります。私たちは、この3つの衝動の間を行ったり来たりして、試行錯誤しながら進むべき道を見つけなければなりません。現実的な妥協は常に必要です。中国のリーダー鄧小平は「中国の特色ある社会主義」に向けた中国経済の変容について「我々は石を探しながら川を渡っている」という表現を用いて、そうした動きのイメージを喚起しました。6つ目の実践は「前進する道を見つける」です。愛、力、公義のそれぞれを必要に応じて使い分け、一歩ずつ進みながら、学び、調整することです。その反対は「まっすぐ突き進む」で、行動方針を決めたら、その方針がうまくいっているかどうかにはお構いなく、ひたすらそれを押し進めることです。

社会システムを変容するために必要な愛、力、公義は、どのように創り出せばよいのでしょうか? 喜ばしいことに、私たちがこの3つを創る必要はありません。すべての人がこの3つの衝動をすべて自分の中に持っているのですから、その障害を取り除くだけでいいのです。この極めて重要な知見を、私は2017年にフランシスコ・デ・ルー神父から学びました。彼がコロンビアの「真実・共存・不再戦を明確化するための委員会」の会長に任命された直後のことでした。その時私がファシリテーターをしていたのは、コロンビアのステークホルダーが、自国の変容に貢献する方法を発見し、長年にわたる政治的、経済的、文化的な対立に取り組むためのワークショップでした。そのワークショップ初日の朝、参加者たちは緊張していました。この地域で起こったこと、起こるべきであることについても、大きな意見の相違がありました。中には敵対する者同士もいました。多くの人が強い偏見を持っていました。ほとんどの人がそこにいることに身の危険を感じていたのです。しかし、彼らはとにかく変化を起こしたいという思いからその場に集まったのです。

初日が終わるころには、参加者たちはリラックスし、「何か有意義なことができるのではないか」という希望を抱き始めていました。そして、夕食に行くために全員が立ち上がったとき、デ・ルー神父が興奮した様子で私のところに駆け寄り、こう言いました。「あなたがやっていることが今わかりました! あなたは神秘の出現の障害を取り除いているのですね!」。デ・ルーは、社会変容を実現するためには、愛、力、公義を創り出す必要はなく、こうした普遍的で人が生まれながらに持っている衝動を表現する上での障害を取り除くだけでいいのだ、と言っていました。

ラディカル・コラボレーションの7つの実践の最後は「希望のストーリーを共有する」です。その反対は「共通の言語を前提とする」で、何をすべきかを他人にただ指示することを意味します。7つの実践すべてが、愛、力、公義を表現するための障害を取り除く方法なのです。

そこで、希望に満ちたストーリーを短くまとめて皆さんにご紹介します。ラディカル・コラボレーションによって、社会システムを変容することは可能です。私たちは、愛、力、公義に対する障害を取り除き、より多くの愛、力、公義とともにある世界に向けて前進しているのを実感することで、これを実現します。そのように前進していくことは、単純でも簡単でもありませんが、実行可能ですし、実行しなければならないことです。それが、現代の困難な課題に協働して取り組むための唯一の方法なのです。

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