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アダム・カヘン氏著『それでも、対話をはじめよう』訳者解説

2023年10月12日

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15年以上読みつがれてきた不朽の名作、世界的ファシリテーターのアダム・カヘン氏の原点となる名著(旧著書名『手ごわい問題は、対話で解決する』)が 完全新訳&解説つきで装い新たに『それでも、対話をはじめよう――対立する人たちと共に問題に取り組み、 未来をつくりだす方法』として復刊しました 。翻訳、解説はチェンジ・エージェント社代表の小田理一郎が担当させていただきました。

本書の「訳者解説」を出版社からの出版社に許可得て掲載します。

訳者解説

本書は、アダム・カヘンが執筆し二〇〇八年に日本で出版された最初の著作『手ごわい問題は、対話で解決する』(ヒューマンバリュー)の新訳版です。

アダム・カヘンは、世界でももっとも注目される対話ファシリテーターの一人です。彼は世界五〇カ国で、民族対立や和平後の国づくり、医療問題や食糧問題、気候変動などさまざまな課題に取り組み、その中には国内外から驚きをもって讃えられるような成果を導いたプロジェクトが数多く含まれます。企業内での経営幹部向けファシリテーションを経て、一九九三年に独立して以来三〇年以上にわたって実践を積み重ね、彼のファシリテーションの理論を練り上げてきました。その進化の軌跡はこれまで出版された五冊の本の中にたどることができます。日本では、彼の最新のファシリテーション理論を紹介する『共に変容するファシリテーション』を本書と同年の二〇二三年に出版したばかりでもあります。では、なぜ、このタイミングで一冊目の著作を訳し直してまで復刊するのでしょうか?

本企画についての相談を受けて、あらためて一冊目の原書を読み直したとき、日本の読者にとって今この本を読む意義は、次の三つの点にあるのではないかと感じました。

第一に、誰にとっても、最初の経験というのはもっとも鮮明に、強く表れ、心に残るものです。アダム・カヘンにとっても、最初の著作であるこの本には、彼の初心におけるストレートな提唱を感じとることができます。また、その後の著作にくり返し紹介される南アフリカのモンフルー・プロジェクトや、グアテマラのビジョン・グアテマラ・プロジェクトについても、もっとも鮮明で詳細な記述があり、文脈を理解することが欠かせないファシリテーションの実践にとても有益な情報を提供します。

第二に、本書では「オープンになる」こと、とりわけ「話し方と聞き方の四つのモード」について、それぞれいくつかのパターンに分けて具体的な記述があります。話し方と聞き方の四つのモードは、その後の著作でも、グアテマラ・プロジェクトのストーリーを題材にくり返し紹介されていきますが、そのバリエーションやパターンの説明が省かれているため、理解の幅が狭くなる恐れが出てきました。その点、本書では、ファシリテーターに必要な内面シフトの基盤となる「オープンになる」というテーマについて、一冊の分量をかけて多くの事例と共に詳述しているので、読者にとってよりイメージしやすいものとなっています。

第三に、私が本書から受け取った「分かたれた個が、互いと全体性とにつながり、一体感をもつことによって未来を創造できる」という荒削りだがストレートなメッセージは、今日の日本の状況に適合しやすいと考えます。この二〇年ほどで、日本でもワークショップやチーミング、心理的安全性や聞くことの重要性が浸透し、さまざまな組織で実践されはじめています。しかしその一方で、オープンに聞き、話すことの本質的な理解や成果はまだ十分とは言えません。むしろ、SNSや表層的な出来事の報道など、早く手軽に消費できる情報やコミュニケーション手段が増えたことによって、対立や行き詰まりに象徴される「アパルトヘイト症候群」は強まっている機運すら感じます。アダムの新著で紹介した「変容型ファシリテーション」は、日本で対話実践を積み重ねてきたファシリテーターたちにとって素晴らしい羅針盤となりうる一方、これから対話に取り組む初学者や入門者にとっては、より高度な実践が求められるより上級の実践書となっています。まず基本を身につけて、それから応用に向かうことがよい順序立てでしょう。一冊目の新訳版である本書は、対話ファシリテーションの入門書としてお薦めします。

そして、入門書ではありながらも、第四のモードであるプレゼンシング(本文では生成的な対話(ジェネレイティブ・ダイアログ)となっていますが、のちの著書ではプレゼンシングと呼ぶようになりました)まで到達するまでには、相当の訓練と実践を要します。本書で紹介するオープンな話し方と聞き方は、日常のミーティング、コーチング、1on1から、チーム学習(チーミング)、対話型組織開発、コミュニティ・オーガナイジング、あるいは多様な関係者によるステークホルダー・ダイアログまで、さまざまな場面や目的で応用可能です。

日本におけるアダム・カヘンの影響力

私も二〇年ほど前から多様なステークホルダーによるダイアログについて学びはじめ、ピーター・センゲの『学習する組織』を手がかりに、どのように実践すればよいかを探求してきました。

ピーターは、「組織開発の父」と言われたクリス・アージリスに学び、メンタル・モデルに対処するためには、保留しながら主張と探求のバランスを図ること、自身の意識を内省してインテグリティを高めることを教えてくれました。また、ピーターは、同僚のビル・アイザックらと共に、世界中で対話を実践していたディヴィッド・ボームのボーム式「ダイアローグ」の手法を提唱します。

そして、これらに共通して重要なことはメンタル・モデルの保留です。グループのメンバーおよび場全体が保留を意識しながらダイアログを行ううえで、ファシリテーターが重要な役割を担うことは理解できました。同時に、これらの原理原則だけをもとにして対話のファシリテーションを行うにはまだまだイメージが湧かないことが多いと感じていました。

当時、私は「学習する組織」実践の普及のために設立されたSoL(組織学習協会)を手伝うようになっていました。そこで何人かの人たちに、ファシリテーションの実践に優れた人は誰かと尋ねたところ、世界には二人の「昇竜」がいることを教わりました。一人は、「U理論」のオットー・シャーマーであり、もう一人が南アフリカでのアパルトヘイトからの移行のための対話を支援したアダム・カヘンでした。それからほどなく、二〇〇四年にカヘンの第一作『Solving Tough Problems』(本書の原書)、そして二〇〇五年にシャーマーらの共著『Presence(邦題:出現する未来)』が出版されます。特に、アダム・カヘンの書籍では、グループの参加者たちの話し方と聞き方のパターンが明確に分類され、また、場における参加者たちの関係性や関わり方によって、どのようにパターンが変容しうるかが記され、対話に関するより具体的なガイドラインをもつにあたって大いに役立ったことを覚えています。

オットーとアダムは協働者でもありました。初期のU理論に関する文献の中では、U理論開発者の名前に、当初アダム・カヘンの名前も連なっていました。しかし、その後数年たって、アダム・カヘンの名前はなくなり、また二〇〇九年オットー・シャーマーの『U理論』が出版される頃には、U理論と言えばオットー・シャーマー、そして彼が仲間と立ち上げたプレゼンシング・インスティテュートの実践を象徴するものとなっていきます。一方で、アダムはU理論の「発明者」ではないにせよ、「パワー・ユーザー」であることは間違いありません。「チェンジ・ラボ」「ソーシャル・ラボ」「変容型シナリオ・プランニング」など、U理論を基軸としたさまざまな手法やアプローチを開発し、またU理論のグループレベルでの実践の基盤である「話し方と聞き方の四つのモード」について誰よりも豊富な実践例と学習をもって、わかりやすく語ってくれる先駆者です。

こうした組織学習や対話の実践者たちの間の高い評判と並行して、私はもう一つの意味でアダム・カヘンには大きな期待を抱いていました。彼が、二〇〇四年に立ち上がった「サステナブル・フード・ラボ」という五大陸、マルチセクターのコンソーシアムの共同リーダーとなっていたことです。私は二〇〇二年よりサステナビリティの分野に取り組みはじめてから縁あって、サステナブル・フード・ラボのもう一人の共同リーダー、ハル・ハミルトンと懇意になりました。彼とビールを飲み、サステナブル・フード・ラボの変遷を聞く都度、アダム・カヘンの人となりやファシリテーションのインパクトについてよく聞かされていたのです。

二〇〇八年四月、アダム・カヘンと初めて会う機会が訪れました。当時は、世界全体に二極化が強まる最中、気候変動や核拡散、貧困格差などグローバルな課題に向き合うために「グローバルSoLフォーラム」が中東のオマーンで開催されます。その基調講演者の一人としてアダム・カヘンが来場していたのです。彼の講演後に挨拶をするや、とてもフラットに、親しみをもって接してくれました。ピーター・センゲやハル・ハミルトンなどの人脈の助けもありましたが、アダムは大変な親日家でもあったのです。日本の職人気質や細部へのこだわりなどに特別に敬意を払い、また、国際的な舞台ではやや控えめな日本人と波長があうところもあったようです。同年に本書の旧訳書『手ごわい問題は、対話で解決する』が発刊し、日本でも彼の対話アプローチが広く知られるようになります。

このときの交流をきっかけに、二〇一〇年『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』、二〇一四年『社会変革のシナリオ・プランニング』、二〇一八年『敵とのコラボレーション』のそれぞれの翻訳書が発刊する都度、アダムを日本に招き、講演とワークショップを通じて彼の方法論を指南してもらいました。私自身も、二〇一〇年来日時に開催された「チェンジ・ラボ」に参加した際、彼のファシリテーションのもと、自分自身の迷いを払拭してその後の活動の源に触れるプレゼンシングを体験しました。U理論の開発に関わったオリジナルメンバーの言葉の発し方、振る舞い方、あり方は、そして日本の多くの実践家たちに多大な影響を与えてくれたのです。

オープンになることとは―話し方と聞き方の四つのモード

アダムは、『共に変容するファシリテーション』において、グループが共に前に進み続けるうえで重要な動作の極の組み合わせを五つ紹介しています。そのもっとも基本的な極が、「主張すること」と「探求すること」です。主張するとは、自分自身の考えを話すことであり、探求するとは、相手の考えや全体像など明らかになっていないことやより深くにあることについて、問いかけ、傾聴し、考えることです。どちらも重要な動作であり、対話を行ううえでは、グループがこの二つの動作を行き来しながら、主張の質と探求の質を高めていく必要があります。

両極の動きを流れるように行き来してフローを生みだすためには、ファシリテーターとグループが内面のシフトを起こすことであるというのがアダムのファシリテーション理論の根幹にあります。そして、主張の質と探求の質を高めるには、ファシリテーターとグループの参加者たちが「オープンになる」ことであり、このファシリテーション実践の第一原則を本書の主題として深く、詳しく取り上げています(なお、他の四つの原則は、「見極める」「適応する」「奉仕する」「パートナーとなる」ことです)。

彼のファシリテーション理論の説明には、本書でも紹介されている次の四つのモードに分けて整理するとわかりやすくなります。

  1. ダウンローディング
  2. 討論(ディベート)
  3. 内省的な対話(リフレクティブ・ダイアログ)
  4. 生成的な対話(ジェネレイティブ・ダイアログ/プレゼンシング)

本書の各章が紹介する話し方と聞き方がその四つのモードに対してどこに位置づけられるかを整理したのが以下の図です。

この図に説明される話し方と聞き方の四つのモードは、彼のこのあとの書籍でもくり返し紹介されます(ただし、書を重ねる毎に、説明が省略されていきます)。ダウンローディングからディベートへ移行するには「保留する」ことが鍵となりますが、この具体的な実践は文脈によってだいぶ異なるために、例えば『共に変容するファシリテーション』だけを読むと「保留する」のパターンを限定的に捉えてしまう可能性もあります。しかし、本書ではいくつかの異なる文脈を説明してくれるので、より具体的なイメージをもって理解しやすくなっています。以下、各モードのいくつかのパターンを概説しますが、詳述は是非本書の該当する章をお読みになってください。

モード1:ダウンローディング

「ダウンローディング」は、目の前の状況に対して過去の知識や経験をコンピュータからダウンロード(あるいはリロード)するようなパターンの話し方と聞き方です。既存の現実を再現し、しばしば二極化や行き詰まりをもたらすこのモードには次のようなパターンがあります。

まったく話さない、聞かない

第4章「行き詰まる」では、ETA・スペイン政府・バスク地方政府の事例やすれ違う親子に関するアダムの体験談が紹介されています。これは、互いにまったく話さないし、相手の話を聞かないというパターンです。むしろ、相手の話を一切聞いてはいけないと考える場合すらあります。

命ずる、聞くふりをする

第5章「命ずる」では、独裁政権や権威主義のトップが経営する企業などの事例を紹介しています。ここに見られるパターンは、強権的な独裁者や経営トップなどの上位者は人々に命令する一方で、下位にいる人々は発言することを恐れ、まったく発言しないかトップの意向に背かないように警戒しながら話しています。上位者は人の話を聞きません。その他の人々は、すでに結論が決まっているので聞く必要はないか、生存のためのずる賢さで聞いているふりをしています。

礼儀正しく話す、予測的に聞く

第6章「礼儀正しく話す」では、カナダのケベック分離派と連邦主義者の事例と多くの家庭や職場の会話を紹介しています。ここに見られるパターンは、人々が互いに、礼儀正しく、当たり障りのないことを話しています。それはしばしば、既存のルールにしたがって話すことでもあったりします。対人関係に悪影響のあることを恐れて、突っこんだことは話しません。一方で、人々は互いに、既存のルールや現状維持の状態を予期し、既存の社会システム(体制)を再現するように予定調和の聞き方をします。

ここにあげた三つのパターンが、共通してダウンローディングのモードに類型化されるのは、いずれの場合も過去くり返し起きている現象や結果を再現し続けるものだからです。このモードでは、イノベーションや変容は起こりません。仮に強権的なトップが独創的であったとしても、周囲の人がその機械となって無条件にしたがっていたのでは、VUCAと言われるこの時代において、現場に求められる適応性や工夫は起こらず、持続的に成果を出すことはきわめて難しいものと言えるでしょう。

このモードではしばしば「恐れ」が支配的になります。制裁や裏切り者のそしりへの恐れの場合もあれば、人間関係上悪影響を及ぼすことへの恐れがあるために話すことをためらい、心理的安全性の低い状態である場合もあります。このモードでは、本音で突っこんだ、本心からの対話とはほど遠い状態になります。

聞き方が「予測」にもとづくというのは、聞いていないことの表れです。通常の場合でも、私たちは相手の発した言葉を一〇〇%捉えることは難しく、職業的に聞くことを徹底的に訓練した通訳、会議書記、カウンセラーなどをのぞくと実践されることはまれです。多くの場合、正確に何が話されているか聞き逃している言葉が数多くあっても、前後の文脈でこう言っているだろうと推測することで埋め合わせるのが普通の人の聞き方です。さらに輪をかけて、相手の実際に話している言葉やニュアンスなどまったく聞こうとせずに、「この人はいつも/また、こう言っている」「どうせこうだ」と決めつけて、いつも一つの答えしかないと確信している聞き方もしばしば起こります。また、「予測」の原語であるprojectionにはもう一つ、「投影」という意味があります。ダウンローディングにおける聞き方は、相手の話に、自分自身や自分自身の考えを投影しながら聞いている状態ともなりえます。

このように、話す側も聞く側も、独裁者や権威主義のトップをのぞけば、みなが自分の殻の奥底にこもっている状態がダウンローディングには見られます。このモードでは、誰もが「話されていることを聞かない」「目の前にあることを見ない」「本当に思っていることを言わない」「やると言ったことをやらない」状態が蔓延し、ただ生存のために必要なことだけがなされます。家庭でも組織でも、望ましい状態ではありませんが、このような状況に陥ることは珍しいことではなく、むしろ機能していないシステムでは幅広く見られるモードです。

モード1からの移行の鍵「保留する」

ダウンローディングのモードが有用となる場面として、儀式のように決められたことを遂行する場合や、災害などの緊急事態に避難や安全確保のための指示命令を行う場合などがあります。しかし、グループの知性と感性、創意工夫などの潜在的可能性を引き出したい場合や協働を必要とする場合には、進展が望めません。探求するためには相手の話をしっかりと聞くこと、そして決まった人だけが主張するのではなく、より多くの人が主張することが必要です。

この主張と探求の行き来を生みだすには、グループの人たちが「オープンになる」ことが求められます。そのオープンになる状況をつくるきっかけとなりうるのが、抑圧されていた周縁から声をあげることです。紹介されている事例では、ケベックでの青年のストーリーも、グアテマラでの若者の一喝も、周縁にいる人が勇気を持って率直に話すことが描かれています。しかし、前者では、聞き方がオープンにならなかったために話し合いは活性化されず、後者は聞き方もオープンになったことで、多くの人たちが率直に話すことの引き金となりました。

オープンになるために必要なことの第一ステップは、「保留する」ことであり、それは話すことにも聞くことにも適用されます。

聞く際に行う保留は、「いつも○○だ」「この人はまたどうせ○○と言っている」「この組織・社会ではどうせ○○にしかならない」といった、自分自身のもつ前提に気づき、脇に置いて、異なる可能性に目を向けることを意味します。私たちは気づかずにさまざまな認識バイアスなど、色のついた眼鏡をかけていることがあります。心の中で起こるさまざまな声や判断について、相手が話している間は一時的に脇に置き、その人が話していることをありのままに聞くようによく訓練します。そして全身全霊で、その場に存在するようにします。それがたとえ自分自身に都合の悪い、耳障りなことだったとしたらなおさら保留が有用となります(モン・フルーのリーベンバーグが白人政権への批判を話された通りに板書したように)。

話す際に行う保留は、「いつも○○だ」「真実/答えは○○しかない」といった自分の主張や考えていることを確信するのではなく、それらを検証できるように自分の考えを目の前に吊り下げることです。具体的には、「みなが」「いつも」「常に」「真実は」など、他の可能性を排除する表現を避けて、例えば、「私の考えでは」と前置きして話すことで、他の可能性にも目を向けます。そして、自分自身の主張の論理の飛躍や抜け、認識バイアス、他の可能性を自分や他者によって探せるようにします。

また、参加者たちがオープンになるうえで、「心理的安全性」も見逃せません。心理的安全性が低い場において、人々は「こんな質問をしたら自分は無知と見られる」「助けを求めたら無能と思われる」「こんな指摘をしたらネガティブと見られる」など、対人関係上自分がどのように見られるかについて不安があると、率直に話すことをためらいます。独裁者や権威主義のトップの意見と違う場合には、「刑務所に入れられる」「雇用と生活を奪われる」などより差し迫った恐れに襲われる場合もあるでしょう。

ここでも、不安や恐れを築く自分自身の前提を保留してありのままに見ることで、恐れていることが実際に現実となるリスクを冷静に評価することが必要です。私たちの心は、不安や恐れが増幅してリスクを過大視したり、疑心暗鬼に陥ったりしてしまいがちだからです。一方で、独裁者や仲間たちからの制裁が現実に存在することも多く、そうした場合には文化、風土、話し合いのルールを変容し、人間関係をオープンにして、対立への建設的な対処の能力と器を築く必要があります。ファシリテーターは、こうした心理的安全性を築くことに努力しながら、第二のモードであるディベートへの移行を図ります。

モード2:討論(ディベート)

保留の第一段階が進むことによってマインド(頭)がオープンになります。つまり、自分自身の殻に閉じこもって相手を聞かなかった状態から、相手の話を聞く姿勢に変わります。また、今までは恐れに閉じこもっていた自分の声、意見、本音、違和感などを発するようになり、こうしてモードが討論(ディベート)へと変わります。

率直に話す

討論のモードにおいて、多様な人たちがそれぞれの立場や視点から率直に話すことで、一つの真実や意見のみへの収束のパターンは破られ、自ずと意見の違いや衝突が場の表面に現れてきます。社会的(ソーシャル)な複雑性のある社会や組織において意見の違いや衝突があることは自然なことであり、また、健全なこととも言えるでしょう。

参加者たちの間で保留が進み、互いに言い合えるようなオープンな信頼関係が育まれると、議論は活性化します。第7章「率直に話す」で紹介されるディスティノ・コロンビアのプロジェクトはまさにその様子を表しています。

このモードにおいては、論題に対する肯定チームと否定チームなど二手に分かれて実施するディベートが象徴的です。実際のテーマや構成メンバーによっては、論点がいくつもあって意見が多数出てくることもあるでしょう。ディベートほど型が明確にありませんが、職場や集会でのディスカッションもこのモードに類型化できます。ビジネス組織や専門家同士の話し合いでは、ディスカッションを含めた討論はむしろデフォルトのモードでもあります。

ただし、日本ではビジネス組織であっても、欧米に比べて心理的安全性が低く、ダウンローディングが中心となっていることが多くあるようです。また、もともと権威のある人が冒頭から立場の低い人の発言に反対を述べることは、心理的安全性を低くして場のエネルギーを下げる行為ですので、相対的に他者より立場や影響力の高い人はとくに保留に努める必要があります。

本書では、第7章のTグループのように率直なフィードバックを推奨する場の設定について紹介されていましたが、他にもさまざまな工夫ができるでしょう。例えば、「反対意見」を求めるよりは、「違和感」「懸念点」などを求めたほうが、自然と話しやすくなります。あるいはあえて議論の弱いところやネガティブな側面を探す「反対意見役」「ネガティブ・チーム」などを設定し、ロールとしてそうした意見を発言しやすくするなどの工夫もとられています。

判断するように聞く

討論のモードの聞き方のパターンは、合理的な判断をするような聞き方をします。つまり、どちらの主張や説明がメリットとデメリットを鑑みて総合的に望ましいかを合理的、客観的に判断しようとします。

ディベートでは、肯定チームと否定チームとはべつに、ジャッジがその役割をなしています。大統領選挙、法廷、あるいは競技ディベートなどでは、すべて審判を下す人が設定されています。職場でも、上位の意思決定者が部下からの提案やプレゼンを聞きながらその合理性を判断することはよく見られます。

一方、ジャッジ役を特定の人に委ねるのではなく、参加者の多数が意思決定にかかわる場面も多くあるでしょう。国会の議員たちや職場での同僚間でのディスカッションがそれにあたります。

このモードの聞き方で重要なことは、もともと自分の中にある意見や結論をダウンローディングするのではなく、いかに自分のもっていなかった意見や考えに対して、ありのままに聞くことができるか、とりわけ自分の意見や考えを否定する事実を客観的に捉えられるかが鍵となります。

モード2からの移行の鍵「視座を転換する」

率直に話し合いが行われ、合理的な判断がなされる組織において、討論モードの話し方と聞き方が組織で共有されると、意思決定のスピードも速くなります。しかし、このモードで解決できるのは、比較的単純な問題や「技術的な問題」に限られ、複雑性の高い問題に対しては自ずと限界があります。

例えば、同質性の高い同じ会社の人たちの間で話すとき、判断基準は比較的似通っていて、会社の収益につながる顧客満足度や戦略的なポジション、投資リターンなど、テクニカルな違いはあっても本質的には大差がなく、判断基準について合意を得ることは相対的に容易です。しかし、CSRや社会課題を取り上げるとき、さまざまなステークホルダーが関与しているため、何が目的か、何が成功の判断基準かについてはそもそもおおきなバラつきがあります。とりわけ強者と弱者の間では、まったく正反対の判断基準をもつことも少なくありません。

厄介なことは、自分自身の価値観や成功の判断基準は、メンタル・モデルの中でも特に根深く、暗黙知の領域に入っているため、自分自身が当たり前と思っていることが他者と噛みあっていないことに気づけないでいること、あるいは間違っているのは他者であると決めつけてしまうことがとても多くあります。こうした傾向は、合理性に価値を置く人、とりわけそれが暗黙・当然の目的となってしまっている人に特に多く見られ、本書でもこの合理性の罠に関しての紹介があります。

異なる多様な人たちの間で、それぞれの人が自らの持つ判断基準に疑問をもたないままに、他者が自分の意見を聞き入れるのを期待していたのでは、変容は起こりえません。結局のところ、ディベートやディスカッションを行っていてもシステムそのものの変容は起こしがたく、既存の現実を再現するにとどまってしまいます。第8章の「話すだけで聞かない」で紹介されているように、自分自身の立場だけでなく、相手の立場に立った聞き方ができなければ、異なる価値観をもった多様なステークホルダーの間で前進することは難しいものなのです。

モード3:内省的な対話(リフレクティブ・ダイアログ)

組織や社会を変容するには、互いの関係性や風土や文化の変容が必要です。そのためには、マインドをオープンにするだけでは不十分であり、ハート(心)もオープンにしなくてはなりません。それを可能にするのは、保留をさらにグレードアップさせて、視座を転換することです。つまり、自分の立ち位置からものごとを見て、聞いて、話すのではなく、相手の立ち位置からものごとを見て、聞いて、話すことです。

(ハートを)オープンに話す・聞く

ハートをオープンに話すとは、客観的事実ばかりでなく、進んで自分の内面を相手にさらけだすことです。第7章「率直に話す」のディスティノ・コロンビアのメンバー間では、マインドだけでなく、ハートもオープンにした交流が広がっていました。誰もがゲリラの報復を恐れて電話機にも近づかない状況から、グラウンドルールを設定し保留の実践をくり返すうちに、自分とは異なる人の話を聞き、理解し、信頼し、そして率直に話すことができる場が醸成されていきました。

ハートをオープンに聞くとは、相手から出てくる新しい何かについて、進んで自分をさらけだすことです。第9章「オープンに聞く」では、ヒューストンの実業家たちやゼロックスの開発チームの事例が紹介されています。ヒューストンでは、実業家たちからはほど遠い、タトゥー・アーティストたちへのインタビューを通じて、さまざまな学びがありました。いつもの自分の慣れ親しんだ文化やスタイルに閉じこもっていたら、会話をはじめることすら難しかったでしょう。相手のところへ出向いて、相手の文化に合わせて話を聞く変容が求められました。

自己内省的に聞く・話す

第10章「内省的に聞く」では、モン・フルーのプロジェクトでの参加者間の展開を解き明かし、オープンに話し、聞くことを重ねるうちに、オープンさが一段と進んで「内省的に」聞く様子を紹介しています。内省とは、自分のもっている考えとは異なる考えに対して、進んで影響を受け、変容しようとする行為です。私たちがいかに前もってある判断、バイアス、自己正当化を持たずに話を聞こうと試みても、私たちのメンタル・モデルは深いレベルまで多層に聞き方に影響を与えていることが多くあります。内省的に聞くとは、自分のメンタル・モデルに気づき、脇に置いて、あるいは吊り下げながら聞くことによって、自分自身のメンタル・モデルを変容させていくプロセスです。

共感的に聞く・自己の体験や本心を話す

第11章「共感的に聞く」では、南アのノース大学でのワークショップやジャウォースキーのインタビューなどの事例を通じて、相手の主観を理解する共感的な聞き方のパターンを紹介します。第14章のビジョン・グアテマラ・プロジェクトにおいて、平和担当の大臣が国民虐殺を主導した政府軍将軍に、共感を示す言葉をかけたのが象徴的です。ここで、共感とは、その意見に同意するかどうかは保留して、相手の立場になったときにどのように感じるかを味わい、あるいは表現することです(このような難しい状況の対話において「共感とは同意を意味する」と前提を置くことは有用ではありません)。

アダムのファシリテーションにおいて、ストーリーテリングが多く用いられます。自分自身の体験談を語ることは、「べき論」や客観的・合理的な話し方とは対照的に、共感を呼び起こしやすくなります。

そして、共感的に聞くことは、相手の内省と自己内省的な話し方を促します。自身の体験談や感情を(感情的にならずに)さらけだすことは共感を誘発しますので、自己内省と共感の好循環をつくりだすことも少なくありません。意見や行為と人物は切り離され、協力に向けた信頼関係が醸成されはじめます。ノース大学のプロジェクトにおけるムカベラの共感的な聞き方は、学生の自己内省を促し、組織のプロパガンダではなく、自分自身のことを本心から話すことを引き出しています。

このように、オープンに、内省的に、そして共感的に話し、聞き合うことを重ねることで、参加者間で意味が通じ流れる「ダイアログ(対話)」がはじまります。家族や職場や地域における人間関係において、内省的な対話のモードまで進んだならば、相互理解が進み、互いの関係性は修復され、相互の信頼が醸成されはじめます。そこから、互いの意志や目的を尊重して行動することで、また、コーディネートが必要な場合は培われた関係性にもとづいて協力して進めることで、今までにない大きな成果を導くこともできるでしょう。互いに対しての無知や誤解があることも多く、相手のことを理解することで納得感をもって相手に譲ることができるようにもなります。ダウンローディングやディベートが常態のビジネス界においては、内省的な対話モードでも十分成果を出せることが少なくありません。

一方で、望ましい未来を創造するうえで、それぞれの意志や目的に向かうことが大きな葛藤や矛盾をつくることもあります。どの立場に共感的に寄り添ったとしてもその他が立たない場合は、解決のために新しい選択肢が必要です。このように複雑に絡み合った問題の状況に対して、もう一段深いモードへと潜っていくことが求められるでしょう。

モード3からの移行の鍵「手放す」

次なるモードへシフトするには、保留のレベルをさらにグレードアップした「手放す」ことの実践が必要となります。すなわち、自分や属する集団のアイデンティティ、立場、目的や主張などへの固執を手放すことです。

社会システムでは、部分最適や共有地の悲劇のように、部分へのこだわりが全体システムの崩壊につながり、結果的には自身の便益が損なわれることも少なくありません。そもそも、相手への共感が必要となるのは、自他を分けて考えているからです。しかし、もし本来大きな全体性の一つが分かたれているにすぎないとしたら、自他の境界を越えて再統合する余地があります。そのために私たちは今ここに現れつつある可能性を迎え入れる準備を整える必要があります。

モード4:生成的な対話(ジェネレイティブ・ダイアログ/プレゼンシング)

四つの話し方と聞き方でも、もっとも実践が難しいのが「生成的な対話(プレゼンシング)」です。このモードを実践するには、マインドやハートだけでなく、意志(ウィル)もオープンにする必要があります。このモードでは、自他を包含するより大きな全体性に触れることによって、自他の境界があいまいになります。システムの全体にアクセスするためには、もはや認知(頭)で理解するのではなく、「感じる」ことが求められます。この難度の高いプロセスについて、本書がそのイメージをもっとも具体的に明らかにしてくれます。すなわち、プレゼンシングには、以下のような話し方と聞き方のパターンが必要となります。

自他の境界をあいまいにして聞く・創発的に話す

第12章「殻を破る」では、アルゼンチンの司法改革を実現する礎となった三日間のワークショップが紹介されています。ディベートのモードが既定路線である法律家たちが、個人的な想いをストーリーテリングの形で語り、自分たちの状況と目指す司法システムの姿を共有することで、参加者たちは当事者意識を強く抱く創造者の同志たちへと転換していきました。

「問題解決」の姿勢では、自分は問題の外側にある客観的な存在であることが暗黙の前提にあります。それに対して「創造」の姿勢では、自らを問題の内側に位置づけます。ビル・トルバートの引用にあるとおり、「問題の一部でないかぎり、解決策の一部」にもなりえないというわけです。メンバーたちは、自らを問題の傍観者として置くのではなく、無力感やあきらめを手放して、自らを問題の内側にある行為者と置き、自らの意志で自分と他者とを隔てる境界を共に破りました(「クリック」の瞬間です)。

ここには、複雑なシステムの全体で起こっていることが個人のレベルに起こるというシステムの相似性が存在します。一人ひとりが個人的なストーリーとして語ることが、互いを同じ人間として見ると共に、システム全体の状況に対して変化をもたらす行為者としての共通性を見いだしたからです。共通のコミットメントによって築かれたパートナーシップは、大きなチャレンジに対する強力な推進力ともなります。

ファシリテーションではよく、議論を「拡散」させてのち、「収束」させると表現します。アダムはこの二つのフェーズの間にある「創発」フェーズ、つまり、予想や計画したことではなく、グループのメンバーたちが内省的、共感的に互いの話に耳を傾け、「今ここで気づくこと」の場に現れてくる新しい可能性のタネを拾い上げることを重視します。この創発フェーズでは、今まで割り切っていたこと、自分中心に考えていたことに対して、さまざまな立場の視座をもって見ることは、しばしば、混沌、混乱、対立を呼び起こします。

一歩下がって心の内の声を鎮め、システムの全体像を感じとる

第13章「丸めた拳と開いた掌」では、ピレネー山脈のリトリートのエピソードが紹介されます。システムの全体像や神聖なるものは、合理的に理解しようとするには限界があり、「感じとる」ことが肝要です。そして、それはまた、混沌、混乱、対立を呼び起こすプロセスでもあります。ピレネー山脈で一晩過ごす自然体験の中、アダムは自分の中の内なる声のお喋りを鎮めることで、互いにより深く耳を傾けることができ、その後はアイデアが次々と生成されるようになりました。

メンタル・モデルを保留することが真の観察や傾聴を可能にし、また静寂の時間や沈黙の時間は、聞くことの質をさらに高めます。自分だけでなく異なる立場の多くの人たちの話により深く耳を傾けることで、私たちはシステムの全体像を感じとることができます。そして、問題から解決策にまっすぐに向かっていく衝動を手放し、一歩下がって無意識に働きかけることでブレークスルーをもたらすことが可能となります(問題の認知から解決策へと短絡的に直進せず、深く潜るような軌跡をたどるゆえに「U」プロセスと名づけられました)。

神聖なるものに耳を傾ける・生成的に話す

第14章「傷口は一体になりたがっている」掲載のビジョン・グアテマラ・プロジェクトでは、四つのモードの変遷をわかりやすく紹介しています。とりわけ、プレゼンシングのモードへの移行のきっかけとなったオチャエタが語った胎児の骨のストーリーは、このモードがどんなものかをもっとも象徴的に表しています。つまり、それぞれの立場を超えた全体性をメンバーたちが感じ取り、立場のこだわりを手放しています。それぞれが「神聖なるもの」とつながり、グアテマラの未来というシステムの全体像がメンバーたちに何を求めているかが感じ取られ、場で誰かが話したのちに何が話されるべきかが生成的に生じる、「フロー状態」を形成します。

神聖なるものとは、必ずしも宗教的なことを意味するわけではありません。人間の尊厳や一人ひとりの秘めた最高の潜在的可能性など、私たちの誰もが内にもち、ないがしろにしてはならない大切なことが、「神聖」なものとなります。

私たちは、この神聖なものに触れたとき、生成的に話すことができます。自分という個人を通してであっても、相互依存の構造の奥にある普遍的な価値や集合知は、固執には囚われない、新しい選択肢を共創する源泉となります。

このように、自他の境界をあいまいにして、より大きな全体像を希求するように聞き、そして一歩下がって耳を澄まし、神聖なるものを感じることによって、私たちは真に創発的で生成的な話し方をすることができます。そしてダンスのように、オープンに話すこととオープンに聞くことの二つの動きの間を流れるように行き来することが、フロー状態をつくり、動かし続ける生成的な対話をもたらします。それが、社会的(ソーシャル)な複雑性を超越して、生成的(ジェネレイティブ)な複雑性に取り組むには欠かせない智慧を場にもたらすとするのが、対話のアプローチがもたらす最高の可能性となります。

私たちの一人ひとりは、それぞれが個人であると同時に集団の一部です。私たちの組織やコミュニティは、それ自体が複数のメンバーを持つ一つの集団であると同時により大きな社会の一部でもあります。このようにシステムの中にサブシステムがあり、また複数のシステムが集まってより大きなシステムをつくる構造の中で、全体であると同時に部分でもある構成単位を「ホロン」と呼びます。「私たち」と呼ぶとき、それはどの集団を指すのでしょうか? 家族、職場、近所、あるいは民族、業界、国家など、「私たち」は歴史や慣行や文脈によって、暗黙のうちにしばしば都合よく形成されています。対話においては、目の前の問題の状況や目的に照らし合わせて、明示的に私たちの境界を再定義することも可能です。この選択は、個人や個々の集団に委ねられるものであると同時に、私たちの思う以上に、分かたれた部分はその再統合を求めるものでもあるのでしょう。ちょうど、裂かれた傷口が癒えてつながろうとしているように。

愛、力、公義

アダム・カヘンは、多様な利害関係者たちがオープンに話し、聞きあうことで、それぞれの利害や立場を超えて、それぞれが拠って立つより大きなシステムの健全性や持続可能性のためにつながることを「愛(love)」の衝動と位置づけました。後続の書籍では、さらに「力(power)」の衝動や「公義(justice)」の衝動を加えて、これらが三位一体として推進されることによって、より効果的なコラボレーションを可能にするとしています。また、方法論の観点から「変容型シナリオ・プランニング」や「変容型ファシリテーション」を提唱し、この書籍で紹介される内容からより精緻で洗練された実践について紹介します。

これらの実践と統合は容易なことではありません。ファシリテーションの名人の域に達したと言って過言でないアダム・カヘン自身、現状に甘んじることなく、さらなる進化を遂げていきます。本書はその原点とも言える対話ファシリテーションの基礎を紹介するものです。まず一つ身につけるなら、この本に紹介するオープンな話し方と聞き方をしっかりと定着させることが、その後のステップの基盤となることでしょう。

謝辞

本企画にあたって、翻訳と解説の機会をいただいた英治出版の原田英治さん、高野達成さん、桑江リリーさんに感謝申し上げます。また、翻訳を進めるにあたっては、佐藤千鶴子さん、三好敦子さん、江上由希子さんには多大なるサポートをいただきました。また、著作の変遷を振り返り、本著作の意義を一緒に議論・指南いただいたアダム・カヘン氏に感謝を申し上げます。

日本での実践が定着・発展しつつある対話ファシリテーションがさらに普及発展して、家庭や組織、地域や国際社会での手ごわい問題の解決に対話が最有力な手段として活用されることで、多様な人たちの間の共通理解と包摂、より成熟した民主主義、そして持続可能性と平和が社会にもたらされることを切に願います。

二〇二三年六月
小田理一郎

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