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東洋思想から学んだチェンジ・エージェントたち(4)

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孔子の言行を記録した『論語』を読んだことがあるという方は多いかもしれません。一方、『孟子』という儒教の書物があるのは知っているけど、中身はよく知らないという方も少なくないでしょう。例えば、「五十歩百歩」「来るものは拒まず、去るものは追わず」といった誰もが知る言葉も『孟子』の故事が由来となっており、実は意外と身近に浸透している古典の一つといえます。

孟子は、孔子の教えの正統な後継者といわれ、その遊説の記録や弟子たちとの問答を記したものが『孟子』です。『論語』『大学』『中庸』とともに「四書」の一つとして儒教を学ぶうえで重要な原典とされています。今回は、その『孟子』にまつわるストーリーとして、松下村塾を主宰し、のちの世に総理大臣他多数の逸材を輩出した、たぐいまれな教育者で、革命家ともいわれる吉田松陰のエピソードをご紹介します。

投獄、その逆境の中でなぜ学びつづけることができたのか
ペリーが来航し、開国の条約を結んだ直後に下田に停泊していた1854年のことです。吉田松陰が、日本が欧米列強に対抗にはどうすればよいか?という探求心から、密航を企てたというエピソードはあまりにも有名です。ペリー艦隊に小舟で漕ぎ寄せ、「見分を広げるために私たちをアメリカへ連れて行って欲しい、戻れば死罪になる」と懇願しましたが、願いは通じず、引き返すことになってしまいます。当時日本は鎖国中で国民が外国に渡航することを禁じていたため、死罪は免れたものの投獄されることになりました。松陰は、出獄の見通しもないまま獄中から書物を取り寄せ約1年半で600冊、3年で1460冊あまりを読破したといいます。さらに、希望のないまま長きにわたり投獄されている囚人たちも積極的に教えを請うようになり、獄舎は、互いに講義や議論を行う学び舎となったと言い伝えられています。松蔭は、出獄はおろか、助かる見込みがあるかどうかさえわからない逆境にありながら、獄舎の人々の心をどのように動かしたのでしょうか。そして、なぜ心を折ることなく学び続けることができたのでしょうか。

『孟子』の卓越した実践者だった吉田松陰
それを支えたのが『孟子』の思想です。松陰は、獄舎で同じく投獄されている人々を相手に『孟子』の勉強会を始めました。その講義録としてのちに書き著された『講孟余話』で彼は次のように述べています。

「今、私たちは獄舎に入れられている囚人で(中略)一生懸命、学問について語りあい、議論を深め、たとえ、いい成果があがったとしても、「それが何の役にたつのか?」と言われてしまうのがおちでしょう。しかし、それは孟子の言葉で言えば、「利益をもとにする考え方(利の説)」なのです。「愛と正義をもとにする考え方(仁義の説)」をしている人は、決してそういうことを言いません。」
(『講孟余話、吉田松陰、かく語りき』より引用)

孟子の主張の柱の1つに王道政治があります。王が利益を第一にすれば、家臣も自分の利益を追求し、しまいに君主の地位を奪い取ろうとする。王が仁義を大事にすれば、家臣も仁義を守り、その国は安泰になると説き、リーダーは仁(愛とおもいやりの心)義(人としての正しい道)をつくして国民を尊重しその幸せの実現のためにあるべきだとする考え方です。松陰は「学は人たる所以を学ぶなり」といい、学びの根源にあるのは人として正しい生き方を探求し続けることだと考えていました。「名誉を得たい」「役職を得たい」といった動機は「利益をもとにする考え方」であると案じ、成功ばかりを追求していると、いつのまにか正しい生き方を見失ってしまうと訴えかけます。困難な状況下でも惰性に流されず、真に大切なこととはなにかを問い続け、探求し行動しつづける松陰の姿勢とあり方が、人々の心を動かし、数多くの志士を輩出することにつながったのでしょう。

「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ず先ずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、行なうことその為(な)さんとする所に払(ふつ)乱(らん)せしむ。心を動かし、性を忍び、そのよくせざるところを曽益(ぞうえき)するゆえんなり」

(訳文)天がその人に重大な仕事をまかせようとするときには、必ずまずその心を苦しめ、肉体を痛めつけて、行動を失敗ばかりさせて、何事も思いどおりにならないような試練を与えるのである。天がその人のこころを鍛え、忍耐力を増大させ、大任を負わせるに足る人物に育てようとしているからである。

これは『孟子』にある有名な一節です。松陰は30歳の若さで処刑され、この世を去りました。投獄という恐ろしい困難に直面してなお、希望をもって正しい生き方を探求しつづけた松陰にとって、心の拠り所となる一節だったのではないでしょうか。

学習する組織やU理論でも、松陰の考え方に類似することを強調します。「アブセンシング」と言われる状態は、表面的な便益を追う傍ら、恐怖を源に、エゴと分断を助長し、自分の考え方の囚われとなるダウンローディングを繰り返します。相手と議論を交わしても、どちらの主張にメリットがあるか暗黙の判断基準で考えるだけでは、過去の再生産を抜け出すのは不十分です。視座を利己的なものから転じて、自らの思考には内省的に、他者の立場には共感的に探求を続け、自分たちの置かれた状況の全体像と可能性を希求することが求められます。そして、自分のエゴや古い殻を手放すことができて、「プレゼンシング」と呼ばれる状態にいたり、今の時代や社会に求められる自らの役割を自覚し、自ら為すべきことを明確に描き、志をより確固としたものにすることが可能になるとしています。

松陰は当時の日本の諸問題やその根底にあった「利」を優先し「義」を顧みない考え方からくる政治的な意思決定や、あり様を案じて「逆境」にあると見ていました。現代の世界や日本をもまた、気候変動、新型コロナウイルスの脅威、各地で起こる戦争や紛争など、先行き不透明で複雑かつ構造的な問題を抱えた逆境の時代といえるかもしれません。『孟子』の教えや吉田松陰の生き方は、組織として、リーダーとしていかに逆境を乗り越えていくのか、現代にも通じる確固たる基盤と指針を示してくれるのではないでしょうか。

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